北康利 第4回
「開高先生は井伏鱒二を心から尊敬していたからこそ、酔い潰れるまでお付き合いしたんでしょうね」

撮影:立木義浩

第3回はこちらをご覧ください。

 今日はまたとない機会ですから、シマジさんに開高健先生のとっておきのエピソードをお聞きしたいですね。

シマジ ほとんどエッセイに書いてしまっているので重複するかもしれませんが、いいですか。

セオ 開高先生とシマジさんとは長きにわたる"じかあたり関係"ですから、埋もれたエピソードもいろいろあるでしょう。

シマジ 作家が作家にじかあたりするのは珍しいことだと思いますが、開高先生が年長者の井伏鱒二に会いに行った話は面白いですよ。

立木 井伏鱒二は釣りの名人でもあったんだよな。

シマジ あるとき開高先生にお訊きしました。

「どうして先生の書斎には、本が一冊もないんですか?」

すると開高先生はこう答えました。

「シマジ君、鋭い質問や。じつはな、むかしは本のなかに埋もれて生活していたんや。それが西荻窪の井伏鱒二さんの書斎を訪ねてから、こうなったんや」

井伏鱒二の書斎に入って行くと、蔵書は1冊たりとも見当たらず、ただ文机の上にボロボロの広辞苑が1冊あるだけだったそうです。その脇に水盤に生けられた稲穂がスッとあるだけでほかにはなにもない。

「先生は書斎にご本を置かれないんですか?」という開高先生の質問に、井伏鱒二は軽いアクビをしながらこう答えたそうです。

「いまはもう本を読む時間がありません。にもかかわらず、そばに置いてあると、本の方から『読んでくれ!』と夜泣きするような声が聞こえてくるんです。だから蔵書はあらかた売ってしまいました」

 なんかわかる気がします。