大仏建立の現場を支える「凄腕料理人」。食を通して「仏」を描くユニークな時代小説
【書評】澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』/評者 吉田伸子
[Photo]iStock

時代は、奈良時代中期。聖武天皇の発願(ほつがん)で建立が始まった東大寺の作事は、端緒についたばかり。後世、いわゆる奈良の大仏として知られる東大寺毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、銅を流し込む雄型が完成し、鋳造作業が間近だった。

近江国高島郡角野郷(つのごう)から、3年の夫役を務めるために仕丁(しちょう)としてやって来た真楯(またて)は、重労働の造仏所に配される。

同時に徴発された仲間には、どこぞの王家に配属された者もいるというのに、と我が身の不運を嘆いた真楯だったが、仕丁頭の後についていった炊屋で出された汁を一口飲んで、仰天する。干した茸と青菜だけの塩汁が、「驚くほど滋味に満ちた汁」だったのだ。

仕丁頭の猪養(いのかい)は、真楯たち新入り仕丁に言う。お前たちは運がいい、と。「造仏所の宮麻呂といやあ、作事場で知らん者はいない炊男だ。あの親父の飯を食ってれば、大抵の苦労は我慢できるってもんだ」

朝夕二食が基本だった時代、真楯たちのように重労働の者たちには特別に昼の中食(ちゅうじき)も許されていたことからも分かるように、仕丁たちの労働を支えていたのは「食」だった。だからこそ、宮麻呂は限られた素材に工夫を凝らし、時には自ら材料を調達して仕丁たちに供していた。

大仏建立に伴う役人たちと現場での対立があったり、宮麻呂の腕を妬む者が現れたりと、様々な“事件”を描きつつも、物語の真ん中にいるのは、宮麻呂という炊男の存在と、彼の人となりを尊敬するようになる仕丁の真楯だ。

ひょんなことから、宮麻呂が生き仏と崇められている行基と何がしかの縁があることを知った真楯だったが、当の宮麻呂は、仏そのものに否定的な考えを持っていた。真楯もまた、仏のご加護やご利益など信じていなかったのだが……。

物語の終盤、曰くありげな宮麻呂の過去が明らかになる件には、胸を衝かれる。事実を知った真楯は、けれど、宮麻呂をかばう。「俺たちにとっての仏は、あのでかい大仏じゃありません。炊屋で飯を食わせてくれる、宮麻呂なんです」と。宮麻呂だけではない、(大仏建立のために)ここで働く者たちはみな、世のための仏です、と。

真楯のこの言葉こそ、仏の教えの真髄だ。

そして、一介の仕丁にすぎない無学な真楯が、このような心持ちに至ったのは、宮麻呂の食があってのことなのだ。そこが素晴らしい。読後に私たちは気づく。本書そのものが、読む者にとっては「与楽の飯」であるのだ、と。

よしだ・のぶこ/'61年生まれ。「本の雑誌」の編集者を経てフリーとなり、各紙誌に書評を執筆。著書に『恋愛のススメ』

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『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』
著・澤田瞳子 光文社/1600円

奈良時代―国家の威信をかけた大事業、東大寺大仏建立。そこで働く名も残さぬ多くの若者たち。彼らの心と身体を支えるのは、一膳の飯だった。人の生と死を食の視点から描く、熱きドラマ!

さわだ・とうこ/'77年生まれ。'10年『孤鷹の天』でデビュー。'11年同作で中山義秀文学賞受賞。『日輪の賦』『若冲』他

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『週刊現代』2015年9月26日・10月3日号より