『しんがり 山一證券最後の12人』愛する会社のために戦った男たちの、魂の言葉
「会社のことで、死ぬの生きるのということなんかないですよ」
1997年、突然破綻に追い込まれた山一證券の社旗

書籍編集者Aです。本日から3回にわたって『しんがり 山一證券最後の12人』の名場面集をお届けします。独断と偏見で選んだ第3位は、総会屋への利益供与の疑いで、山一證券の幹部らが連日東京地検特捜部やSESC(証券取引委員会)に聴取に呼ばれるようになった時の1シーン。社内から「場末」と呼ばれていた業務管理本部(通称:ギョウカン)、いわゆる「しんがり」のメンバーたちが、聴取によって追い詰められた幹部たちの心をときほぐす――この場面を最初に原稿で読んだ時、なぜか私は涙が出ました。

 社員は常に不正と隣り合わせ

地検特捜部が山一幹部の一斉聴取に乗り出したのは、その副社長会からわずか四日後の七月十五日のことである。さらに二週間後の三十日、東京地検とSESCが商法と証券取引法違反容疑で山一證券本社に踏み込んできた。

「そら見たことかっ」。行平や三木の自宅までも家宅捜索の対象になったと聞いて、長澤は地団駄を踏んだ。

捜索の容疑は、一億七百万円に上る山一の利益を総会屋に提供した――とされている。やはり、サイメックス(シンガポール国際金融取引所)の先物取引で山一が上げた自社の売買益を、本社と山一フューチャーズの操作で、総会屋の企業に付け替えてやっていたのである。

――やっぱりそうだったのか。「特に問題はなかった」と前業務監理本部長から引き継いだあのシンガポールの監査が疑惑の焦点だったのだ。社長も白井さんも、自分たちが関与していたから、徹底した調査も処分も指示できなかったのだ。

だが不思議なことに、その時、嘉本の胸に湧き上がってくるのは怒りではなく、同情に似た思いだった。彼らはこれから大きな代償を払うことになるからだ。

検事の追及は苛烈だった。一方の山一の幹部たちには油断があり、組織立った対策を講じていない。それがいきなり、「被疑者」と呼ばれる身に落ちようとしていた。

深夜まで取り調べを受けた幹部たちは自分の弱さを家族にも打ち明けられず、行き場所さえ失っていた。取り調べの後には、会社の顧問弁護士らによる聴取が待っている。それは弁護と企業防衛に必要なことだった。「このうえ、まだ絞られるのか。もういやだ!」と叫んだ幹部もいる。

組織的な不正に流されていくサラリーマンは一つ間違えば自分の姿だ。だまされていたとはいえ、嘉本は誰彼を恨むような気持ちにはなれなかった。