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【ビジネスパーソン必読】
小林陽太郎が遺した「ビジネスの名言」

こんな経営者はもう出ない

「モーレツからビューティフルへ」。TVCMのコピーに、行き過ぎた経済至上主義への警鐘を込めた。常に先を見ていた。時に早すぎて誤解も受けた。それでも突っ走り続けたダンディーな生き様。

44歳で富士ゼロックスの社長に就任

魅せられる人だった。

東京・目黒にある邸宅を訪ねると、時には玄関に出てきてくれて立ち話を、時には場所と時間を変えて改めて話を聞かせてくれた。

小林陽太郎氏。1933年4月、ロンドン生まれ。幼稚舎からの慶應ボーイだった(写真:富士ゼロックスHPより)

提灯記事を書くツーカーの記者としか付き合いたがらない経営者とは違い、一見(いちげん)の記者にも真摯に対応した。「広報を通してくれ」などと無粋なことを口にせず、いつも自分の言葉で語った。

珍しい人だな、と思った。

そして、話せば話すほどファンになった。

「僕は甘いものに目がなくて。おはぎがすごく好きなんです」

いつもパリッと決めたスーツにポケットチーフが似合う国際派経営者。

外国の映画俳優のように彫りの深い顔は、ダンディーそのもの。

なのに、似つかわしくないこんな言葉をさらっと口にする。

取材の御礼にと和菓子を送ったら、数日後、馬鹿丁寧な手書きの礼状が届いた。何十歳も年下の若者相手でも、いつも敬語で話す人だった。

「桜も好きですよ」

ソニー元会長の盛田昭夫(故人)とは、家族ぐるみで付き合いがあった。盛田邸で毎春開催される、桜を愛でるホームパーティーに出席するのを楽しみにしていた。

「そこではおはぎも振るまってくれるんです」

嬉しそうに語っていたのが、強く印象に残る。

次の桜の季節も、心待ちにしていただろう。

9月5日、小林陽太郎が82年の生涯に幕を閉じた。

1978年、小林は44歳という若さで富士ゼロックスの社長に就任すると、2009年に相談役最高顧問を退くまで同社を牽引した。

小林が社長就任当時、富士ゼロックスの年間売上高はざっと1000億円。これが現在では1兆円を突破するまでに拡大させた。名実ともに「ミスター・富士ゼロックス」たるゆえんである。