鬼怒川大水害 
これは偏った治水政策が招いた「人災」だ!

常総市は「首都を守る」ために犠牲となった!?
〔photo〕gettyimages
高橋学(たかはし・まなぶ) 1954年生まれ。立命館大学文学部地理学教室教授と、歴史都市防災研究所教授などを務める。著書に『平野の環境考古学』など。専門は環境考古学(環境史、土地開発史、災害史)、また、災害リスクマネージメントの研究も行っている。

「城下町を守る」ことが最も重要だった

なぜこれほどまでの惨事となってしまったのか。

茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊し、常総市街地を含め約40キロ平方メートルの地域が浸水の被害を受けた。少なくとも7名の死者を出した悲劇となった。

高杉徹・常総市長は、この惨事について「ソーラーパネルを設置するために堤防を削った。それが大きな理由。つまり人災である」との見解を示した。

また、破堤場所となった三坂町・上三坂地区に避難指示出すのが遅れた点について「まさか破堤するとは思わなかった」と想定外の事態あったことを強調した。

インターネット上では、民主党政権時代の「事業仕分け」で公共工事費が削減され、人工堤防整備が遅れたことに原因を求めるものもあった。

これらの説明、解釈にも一理あるだろう。しかし、環境史・土地開発史・災害史を専門とする筆者の観点は、いささか異なる。

まず、鬼怒川に合流する利根川の「成り立ち」から考える。

関東地方では「坂東太郎」の名で知られる利根川は、江戸時代の初めまでは荒川・隅田川の流路を経て東京湾に流れ込んでいた。それが、茨城県と千葉県の境界を東流し、銚子を終点として海に流れるようになったのはなぜか。

それは、江戸の街を洪水から守るためだった。人工的に「背替え」と呼ばれる流路変更を何度かにわたって実施し、茨城県・千葉県を通り、太平洋に流れるようにしたのである。

そのため、もともと独立した河川であった鬼怒川や小貝川は利根川の支流とされたのだ。ここに、今回の惨事の「源」を見ることができる。利根川の流路を人工的に背替えした栗橋や春日部は、関東盆地の沈降の中心であり、水はけの悪い地域だったのだ。

7400年ほど前の縄文時代には、東京湾から内陸部まで海が広がっており、群馬県館林の茂林寺沼付近まで達していた。そのため、現在の災害予測地図では、埼玉県の春日部などの地域が津波危険地域になっている。

このように江戸時代に「背替え」した河川は、矢作川(愛知県)、大和川(大阪府)、市川、夢前川(兵庫県)、香東川(香川県)、斐伊川(島根県)など各地に見られる。ほとんどの場合、城下町を洪水から守るための方策であった。当時は、「中心」を守ることが最も大切だったのだ。