【リレー読書日記・熊谷達也】
東日本大震災後、小説家は廃業かと悩んだときに出会った、切れ味鋭い文章の持つリアリティ

もう一度小説の可能性に賭けてみようと思わせてくれた本

小説を再読することはめったにない私だが、函館出身の作家、佐藤泰志の『海炭市叙景』を4年ぶりに再読した。最初にこの本を読んだのは、東日本大震災があった年の夏だった。

実は当時の私は、震災をきっかけに小説を楽しむことができなくなっていた。あの大津波による凄まじいまでの破壊と大量死を間近に見たせいだと思う。

小説に描かれる世界にリアリティが感じられず、物語に入って行けない。そんな状態が続いていて、これでは小説家を廃業するしかないのではないかと、危惧すら覚えていた。

そんな折りに偶然出会ったのが本書だった。函館をモデルとする「海炭市」という港町を舞台にした群像劇である。

海炭市叙景』 佐藤泰志 小学館文庫

普段はあまり手に取ることのない純文学作品なのだが、震災後に初めて最後まで読み通せたばかりか、大きな刺激を受けた本となった。この本のおかげで、もう一度小説の可能性に賭けてみようという気になった。いったい何がそんなによかったのか、あらためて確かめたくなっての再読である。

やはりよかった。これほど切れ味の鋭い文体の作品を読めるだけで、1人の読者として幸福だ。その文体がもたらすものは、登場人物たちと彼らが暮らす街の、圧倒的なリアリティだ。

可能なら(実際には無理そうだが)こんな物語を書いてみたい。1人の書き手として切実にそう思う。

残酷なまでにリアルな理由は

ところで、佐藤泰志は1990年に41歳の若さで自死している。函館市文学館に自筆原稿が収蔵されているのだが、それを前にすると切なくなる。よって残念ながら、佐藤泰志の新しい作品は、決して読むことができない。

その一方で、ずっと以前に消えてしまったとばかり思っていた作家が復活を果たし、新たな作品を手にできるという、読書人として嬉しい事態も起きるのだから、やはり本の世界は面白い。『夜より黒きもの』の著者、高城高氏のことである。

この名前ですぐにピンとくる読者は、かなりのミステリーファンに違いない。

日本ハードボイルドの嚆矢とされる「X橋付近」が、当時の「宝石」の懸賞入選作となって作家デビューしたのは、氏が東北大学文学部に在籍中の1955年のことである。その後、北海道新聞社に入社してしばらくは二足の草鞋で執筆を続けていたのだが、70年代の初めに断筆していた。

その高城氏の復活のきっかけを作ったのが「仙台学」をはじめ、仙台でユニークな出版活動をしている出版社「荒蝦夷」である。

同社が2006年に刊行した『X橋付近 高城高ハードボイルド傑作選』がミステリーファンに注目されて話題になり、その後、新作を次々に発表して、本格的な復活を遂げることになる。

本書は、昭和60年代初期の、バブル景気華やかなりしころの札幌、ススキノを舞台とするススキノ・シリーズ第二弾である。

政府がどう言おうと、景気がよいとはどういうことか忘れてしまった、あるいは、好景気などそもそも知らない――それが生活者の実感である今の時代に、バブル全盛のころの街を描くのはかなり難しいはずだ。が、本書はそれを見事にやってのけている。

ハードボイルドの抑制の利いた文体が、登場人物と札幌の街のディテールを鮮明に浮かび上がらせ、あの妖しくも混沌としたバブルの時代に、私たち読者を誘ってくれる。

やはり本書にも、有無を言わせないリアリティが存在するのだ。同時に本書には、バブル時代を克明に、そして冷徹に描いた、記録文学としての一面もある。