読書人の雑誌『本』
縄文の三内丸山遺跡から江戸の四谷怪談まで、日本の「精神」の流れをたった一人で描いたとてつもない大作が現れた!
『日本精神史』ができるまで
薬師三尊像

『日本精神史』を書き終えて

文/長谷川宏(哲学者)

奈良へ

初めて奈良の仏寺・仏像を見に行ったのは、1974年、34歳の春のことだ。それまでどうして奈良に足が向かなかったのか、振り返っても確たる理由が見つからず、そういうめぐり合わせだったと思うしかない。

前の年にわたしの塾に通う中学3年の男子2人が、卒業記念にと奈良を旅行し、それがなんともすてきな旅だったから今年は是非いっしょに、と強く誘ってくれたのがきっかけの古都訪問だった。

最初に訪れたのが西の京の薬師寺だった。金堂が工事中で、薬師三尊像は入口近くの仮りのお堂に安置されていた。がらんとした空間に無造作に置かれた黒光りする三体の仏像。思いがけぬ出会いに衝撃を受けた。

圧倒的な力強さと安定感と精神性を具えた像を目の前にして、その場を動けなくなった。右に左に移動しつつ1時間ばかり三体と向き合い、目を凝らし思いにふけり、ようやくそこを立ち去る心の落ち着きが得られた。

4、5日の奈良旅行だったが、薬師寺のあとも溢れるほどの仏寺と仏像の魅力を身に浴びて、奈良は、もう一つの古都・京都と並んで、わたしの美意識の核心をなす場所となった。その年以降、いまに至る41年間、春先に欠かさず奈良を訪れることになったのも、美意識の自然な導きによるものだった。

こんどの『日本精神史』では、奈良の寺では飛鳥寺、法隆寺、興福寺、東大寺などを、仏像では百済観音像、(中宮寺)半跏思惟像、阿修羅像、鑑真和上像、東大寺南大門金剛力士像、無著・世親像などを取り上げることになったが、それらを論じる際に自分の思考がある種の安定感とゆとりをもって前へと進むことに、わたしは長年の旅の経験が確かに生きていると感じることができた。

芸術作品とのつき合いは親炙こそが王道だとつねづね思っているわたしは、その実感を心底うれしく思った。

三内丸山遺跡から『東海道四谷怪談』まで

とはいえ、こんどの本のめざすところが、美術、文学、思想の三領域を相手としつつ、縄文の三内丸山遺跡、火炎土器、土偶から江戸晩期の『東海道四谷怪談』に至る精神の流れを大きく展望することにあるとすれば、慣れ親しんだ文物や文献のあいだをめぐり歩いて、それで事が片付くわけにはとうてい行かない。

必要とあらば、なじみの薄い分野に乗り出し、不慣れな対象に向き合わねばならない。例を挙げれば、写経や『今昔物語集』や「蒙古襲来絵詞」などがそうで、おのれの知識不足と思考の不如意を思い知らされて、なんども原資料に当たり、構想の組み変えを図ったりもした。