「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男
〜カリスマ・プロデューサーの破天荒な一生

【特別公開】牧村康正+山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男』
牧村康正

漫画原作に頼らないオリジナル企画の立案、現場を支える一流スタッフの結集、徹底討論による緻密なシナリオ構成、金と時間を惜しまない大胆な画づくり、作品と連動する版権ビジネスの拡大、ストーリーを盛り上げる音楽性の高さ――西崎はそれまでのアニメ製作に類例のない手法を取り入れた。

そして子供向けアニメからの脱却を目指し、「ヤマト」を本格的なSF長編作品に作り上げて中高生の心をつかんだ。ヤマト世代と呼ばれるそのファン層からは、後に日本のアニメ界を支える傑出したクリエイターたちが続々と輩出された。

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2)西崎義展とは何者だったのか?〜その男は愛について考え続けた


昭和9(1934)年12月18日、西崎弘文(義展の本名)は父・正、母・秋子の間に生まれた。生地は東京都小石川区原町、現在の住所でいえば東京都文京区白山になる。弘文が生まれた昭和初期には大企業の社宅が建ちならぶ閑静な高級住宅街だった。

西崎義展氏(1934-2010)

なお同年3月、満州国(昭和7年・1932、建国)では溥儀が日本の傀儡として皇帝の座に就き、ドイツでは八月にアドルフ・ヒトラーが総統に就任した。いうまでもなく、日本は戦争への道をひた走っていった時代である。

弘文の父・正は開成中学、一高、東大法学部と進み、日本興業銀行(現・みずほ銀行の前身の一つ)に勤務。後に実業界へと転じ、日本曹達、日特金属工業など大企業の役員を歴任した。

父方の祖父・弘太郎は帝国大学(現・東京大学)医科大学薬学科を卒業後、二高(現・東北大学)教授などを経て、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)校長に就任している。さらに弘太郎は薬学博士でもあり、正三位勲二等を受章した。父の妹、つまり弘文の叔母は日本舞踊の初代西崎流家元・西崎緑であり、母・秋子は聖心女学院を出ている。

西崎家は資産もあり、その家系はいわゆる名家といっていい。後年深いつき合いになる石原慎太郎をして「家柄だけはお前さんに負けるよ。うらやましい」と言わしめた。なお、弘文の3歳上に姉の陽子、14歳下に弟・隆二郎がいる。