「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男
〜カリスマ・プロデューサーの破天荒な一生

【特別公開】牧村康正+山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男』
牧村康正

さて、西崎義展の名を日本アニメ史に刻み込んだ「宇宙戦艦ヤマト」とはいかなる作品であったのか。

――西暦2199年、地球は大マゼラン星雲にある異星人国家ガミラスの侵略を受けていた。遊星爆弾による放射能汚染で地上生物は死滅。海は蒸発し、地球は赤茶けた姿に変貌している。人類が立てこもる地下都市の汚染も進行し、人類絶滅まであと一年と迫っていた。

ガミラス軍の攻撃で地球防衛艦隊が壊滅した直後、謎の宇宙船が火星に不時着。回収されたカプセルには、放射能除去装置コスモクリーナーDを地球に提供するというイスカン ダル星からのメッセージが納められていた。さらにイスカンダルまで一4万8000光年の航海に必要な波動エンジンの設計図も添えられていた。

地球防衛軍は250年前の大戦で沈められた戦艦大和を極秘裏に改造して波動エンジン を搭載、宇宙戦艦ヤマトとして甦らせる。

人類救済のためにはイスカンダルでコスモクリーナーを受け取り、1年以内に地球へ帰還しなければならない。艦長・沖田十三、若き指揮官・古代進らはガミラス帝国と戦い、 宇宙空間の障害を乗り越えながら、遥かなるイスカンダルを目指す――。

以上が、ファンの間ではあまりにも有名な「宇宙戦艦ヤマト」(テレビ版第一作)の基本ストーリーである。

昭和48(1973)年、西崎を中心にまとめられた企画書冒頭の一文(企画意図)を紹介しておこう。「ヤマト」に対する西崎の意気込みと願望がここに集約されている。

「今年、『ポセイドン・アドベンチュア』というアメリカ映画が大ヒットした。転覆した豪華客船の中から、僅か数人の男女が、奇跡的に脱出、生還する物語である。ヒットの理由は、転覆した船という時代の終末を象徴する状況から、人間が脱出できる可能性を示したことにあると思われる。

今の日本は、地震ブームである。日本列島は六九年目毎に大地震に見舞われるという学説があり、危険周期に入ったこともあって、小松左京の小説『日本沈没』が飛ぶように売れている。このブームは、単に科学的根拠に発するだけのものではない。私たちの生活の行き詰まりが、世直し願望という形で、反映しているのだ。

生活の行き詰まりについて、くどくど説明する必要はあるまい。日本人は驚異の経済成長をなし遂げ、物質的には豊かになったが、そこには公害があり、物価高があって、まだまだ幸せとはいえないし、殊に精神面となると、産業社会の歯車のひとつとなってしまった個人の孤立感を、救うすべもない。

さて、この行き詰った現状を打破できるかどうかだが、その可能性は歴史が証明している。人間の文明は何度も危機をはらんだが、その度に人間は脱出し、今日に至ってきた。大切なことは、非人間化した産業組織に対し、自分をもモノとして規定してかからないことだろう。私たちは、モノとは次元の違う『人間』なのだ。

この、私たち人間が今一番持たなければならない認識と夢を、大人はもとより、特に子供に語りかけたいと考えて、私たちは、『宇宙戦艦ヤマト』を企画した。

この作品は、20××年、地球上の全人類が滅亡しようという時に、決然と立った少年少女の活躍を物語る、SF冒険アクションのドラマである。そして、彼らの行動を通して私たちが描きたいのは、人間とは『愛』だという、このひとことなのだ」

当時38歳になっていた西崎の思い入れは、気恥ずかしいほど熱く、純粋である。しかし、この業界人らしからぬ一途さが、「ヤマト」の革新的な製作方針に結びついた。