現代新書
タモリはいかにしてタモリになったのか? 故郷・福岡を歩いてわかったこと
大分でボウリング場の支配人や故郷・福岡でフルーツパーラーのバーテンダーをしていたタモリを、芸能界へと導いた山下洋輔、赤塚不二夫の両氏と(1980年ごろ)

NHK総合『ブラタモリ』919日・10月3日放送分では、満を持してタモリの故郷・福岡が登場する。それに先駆けて、新刊『タモリと戦後ニッポン』が話題の著者が、タモリゆかりの地を訪ねた取材秘話を明かす。タモリはいかにしてタモリになったのか?


坂道と鉄道への興味

私はこの8月に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)という本を上梓した。その執筆にあたっては、福岡を訪ね、タモリゆかりの地を色々とまわった。

タモリが土地の高低差に興味が持つようになったのは、生家の前が坂道で、幼少期には日がな一日、そこを行き来する人たちを観察していたことが原体験としてあるという(『新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門』講談社)。

取材時には、福岡市南区にあるその生家の場所も確認した。いまは家はなく駐車場になっているが、その前はたしかに坂道だった。

タモリの生家があった場所の前の坂道

ゆるやかなその坂をしばらく登っていくと、貯水池のある平坦な場所に行き着き、周りを小高い丘が囲む。

さらにその奥にある高台には、高宮浄水場、また2007年まではテレビ西日本(フジテレビ系列)の旧本社施設も所在し、中継用のテレビ塔がランドマークになっていたという。

現在、その跡地には高級マンションが立ち並ぶなど、タモリの少年時代とはおそらく景色は大きく変わっているはずだ。それでも高低差に対する彼の関心が、こうした環境から育まれたことはよくわかった。

タモリの母校・福岡県立筑紫丘高校もその名のとおり丘の上にある。学校に向かう急な坂道を登りながら、高校時代のタモリも毎朝、ここを徒歩か自転車で通学していたのだろうかと想像をふくらませた。

タモリの母校・筑紫丘高校裏手の坂道

取材の際にはこのほか、1972年に福岡を公演で訪れた山下洋輔らジャズミュージシャンとタモリが初めて出会い、伝説の一夜をすごしたタカクラホテル福岡で朝食もとった。

宿泊はしなかったので部屋までは確認できなかったが(そもそも72年当時とは内装もかなり変わっているという)、ロビーやレストランからしてちょっと豪華な雰囲気だ。このホテルを山下や共演した渡辺貞夫たちのために用意したことに、地元の主催者のもてなしぶりがうかがえた。

タモリの母校である小学校・中学校・高校も、タカクラホテル福岡も、また彼が中学時代に牧師の説教聞きたさに通い詰めたという教会も、タモリの生地からは2キロメートル圏内にあった。

西鉄の車両とタカクラホテル福岡

ここから最寄の西日本鉄道(西鉄)の平尾駅から電車に乗れば、福岡随一の繁華街である天神まで5分ほどで出られる。タモリはまぎれもなく街の子だったということが、現地を訪れて十分に実感できた。