作家・柴崎友香さんが選ぶ「わが人生最高の10冊」
カッコいい表現者たちのくれた宝物

これを読まなかったら、いまのわたしはない

子供の頃から小説家になりたかったのですが、詩やロックが好きで、カッコいいことをどうやったらできるんだろうと思っていたんです。1位にあげた短編集『ジーザス・サン』の著者のデニス・ジョンソンは、ジミ・ヘンドリクスのギターに影響を受けて文章を書きはじめたという、アメリカの作家です。

柴田元幸さんの編まれたアンソロジーの中に、この本に収録されている「緊急」を見つけて衝撃を受けて以来、何度も何度も読み返してきました。「俺」という事務員と、友人の雑役夫が働く救急病院が舞台です。

みもふたもない話なのにユーモラスで、文章がカッコイイ。それでいて生死の境でこそ感じられる極限の感覚が描かれている。

たとえば、当直医が雑役夫を探していて、看護婦が「手術室ですよ」と教える。「何やってるんだ?」「床掃除です」「またか?」「いいえ。ずっとです」と返事する。

雑役夫の彼は、ほかの人間にはきれいに見えるのに「血が消えないんだ」と床を拭き続けている。薬でラリってしまっているからなんですが、「やれやれ仕方ないな」という感じで描写に深刻さがないんです。

この本に出会ったのは小説家になって数年したころで、書きたいこととどう読まれるかの間で、無心になれなかった時期で、小説の可能性を教えてくれた本です。これを読まなかったら、いまのわたしはない。

ビリジアン』『寝ても覚めても』は、おかげで視野が開けて、新しい世界に挑戦できた作品です。

ノートに書き写した作品

次の夏目漱石の『草枕』は、山里の風景と、芸術や文化論と、出会った女をめぐる話が等価値に語られているのが面白い。

「人の世は生きにくいのだから、なんとかしようとして芸術が存在するのだ」ということを言っていたかと思うと、謎めいた宿の女の表情を考え続ける。かと思うと、漱石は羊羹が大好きだったらしく、羊羹の美しさを延々と書いてあったり。その表現がまた可愛いんです。

『草枕』は、わたしが会社をやめて時間ができたとき、勉強になることをしようと思って、ノートに書き写した作品です。

読むだけでは気づかなかったのですが、当て字や造語が工夫されていて、新しい表現が生まれている。漢字にするのか、ひらがなにするのかも、文脈で決める。場面の構成も驚かされるほど巧みで、とても勉強になりました。