TVコメンテーターの"いかがわしさ"を斬る!〜ワイドショーの悪しき習慣
奔放すぎる無責任発言、本当に必要なのか?
Photo by iStocks

ジャーナリズムを代行する「ネットの声」

佐野研二郎氏(43)をめぐる一連の盗用疑惑問題は一段落した。東京五輪エンブレムは白紙撤回に。発表から1ヵ月余。五輪組織委員会の判断は遅きに失した気がするが、小保方晴子博士(32)によるSTAP細胞問題のように長期化しなかったのがせめてもの救いだろう。

佐野氏と小保方博士による両問題の相似性は早くから指摘されていた。どちらもネットを使って世界中のアイディアや文献などを簡単に写し取れてしまう時代だからこそ起きた。デザイン界と科学界の権威主義や覇権主義、閉鎖性も重なり合って見えた。

両問題におけるワイドショーとニュースのコメンテーター陣の発言もそっくりだった。知識や調査に裏打ちされた専門的な意見を口にする人もいた一方、闇雲に庇っているようにしか見えない人もいた。客観性のない擁護は、どちらの問題でも事態を泥沼化に追い込んだ一因になった気がする。

小保方博士問題のときは、STAP論文が撤回されようが、早大が猶予付きで学位取り消し処分を決めようが、最後まで「小保方さんは生きているうちに再現実験を成功させればいいのです」と主張したコメンテーターがいた。小保方博士を守ろうとする発言に聞こえるが、真意は単に自分の不明を認めたくなかっただけではないか。

騒動が長引く間、笹井芳樹氏は自死。一方でこのコメンテーターは現在もニュース番組に登場し、放埒な発言を繰り返している。

佐野氏問題の場合、ベルギー人デザイナーのオリビエ・ドビ氏が盗用との指摘をするや、「ドビさんは世界的に有名なデザイナーではないですよね」、「ツイッターもフォロワー数が300人しかいないような弱小の人。だから、本当に言いがかりだなって思っちゃうんですけどね」と発言した人がいる。

これには首を傾げた。いつからフォロワー数が人間の能力や価値の評価基準になったのだろう。SNSの若年層ユーザーらに無用の脅迫概念を与えかねない気がした。フォロワー数を比べた不毛な争いを誘発しかねない。また、その数が少ない人に無意味な劣等感を抱かせかねないだろう。

弱小の人の抗議だから言いがかりとする見方にも疑問を感じざるを得ない。洋の東西を問わず、今も昔も正しい主張が認められるべきであるはず。産経新聞出身でジャーナリズム研究の大家だった故・青木彰筑波大名誉教授は「ジャーナリズムは弱者の側に立つこと」と説いたが、今や弱者の言い分は話半分で聞けば良い時代になったのか。

佐野氏自身、名高くはない人の写真を無断で使い (エンブレムの空港内での展開例)、それが発覚したこともあり、エンブレムの取り下げを余儀なくされた。万一、五輪組織委側が無断使用を看過していたら、国内外から冷笑を浴びていたに違いない。

コメンテーター個人が独特の考え方を持つことが自由であるのは言うまでもない。とはいえ、テレビという公器での発言となると、話は別だ。無論、番組側にも放送責任が生じる。

弁護士資格を持つ一部コメンテーターもドビ氏の抗議を炎上ビジネス扱いした。法律上の問題が生じていなかったことも理由なのだろう。だが、法律とは最低限のルールに過ぎないのは周知の通り。万能ではない。世の中には道理というものが存在する。佐野氏が過去に勤務していた博報堂でも法務担当者とリスク問題担当者は別なのである。

結局、当初から正鵠を射ていたのは、世論が写し出される「ネットの声」だったのかもしれない。当初から佐野氏のデザインを疑問視していたし、彼の過去の仕事のアンフェアな行為も次々と暴いた。

これについては「ネット社会での徹底的な疑惑追跡に、『自由な発想にブレーキがかかる』との声もある」(朝日新聞デジタル、9月2日)という意見もあるが、まるで的外れだろう。ネット時代到来前にはジャーナリズムが検証していたことを、ネット社会が代行したに過ぎないのだから。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら