消えた元四番打者 広島カープ栗原健太の「現在」

【プロ野球特別読み物】
週刊現代 プロフィール

再起をめざした翌'13年はひじの痛みも和らぎ、開幕一軍で迎えたが、打撃の調子が上がらず。松山竜平など若手の台頭もあり、5月に二軍に降格してからは、一度も昇格できなかった。

「心が折れそうになった」と、栗原の口から弱気な言葉が漏れるようになる。

そして昨年11月、やはり違和感が消えないため、栗原は3度目の右ひじ手術という選択をする。そして迎えた今季。以前ほどの痛みはなくなったが、全盛期の打撃を取り戻すことはできず、開幕から二軍暮らしが続いている。

「手術で痛みがなくなっても、痛みを脳が覚えている、と本人は言っています。そうすると、自分では以前と同じ感覚でバットを振ろうとしているのに、脳が痛みを回避しようとして、微妙に体が言うことを聞いてくれなくなるそうです。

投手と打者はコンマ何秒の勝負。自分の思い通りに体が動かないことが、致命的になってしまう。栗原自身、いちばんそのことがもどかしく、悩んでいるでしょう」(広島の球団関係者)

恩師が見抜いた心の揺れ

チームの勝利のために身を粉にして練習し、その代償として負った右ひじ痛の影響で、極端な打撃の不振を招いてしまった。そんな現状にもがく教え子を救おうと、栗原の母校・日大山形高校の監督だった渋谷良弥氏(現・山形商高監督)は昨年末、栗原と食事をした。

「12月28日、彼の家族や同級生なども交えて寿司を食べました。

健太は昨年、一軍での出場機会がなく、つらい思いをしていることを周囲も当然知っていた。だから何と声をかけていいのかわからず、例年なら食事をしながら笑いが起きるのに、昨年は今までと違い、和やかさ、楽しさがなかったんです」

恩師は、栗原が今年の8月6日に、ブログに綴った文面を見て、心の揺れを感じたという。

「彼のブログの中に、二軍選手の苦悩や葛藤についても、書かれていた。健太の精神面の成長を感じる一方で、『引退も覚悟しているのかな』と心配になりました」

なぜ、渋谷氏はそう考えたのか。

「私は、彼が高校3年になると主将に指名しましたが、彼は『オレについて来い』とばかりに、自分のひたむきな姿勢を見せ続けることで周囲を引っ張っていた。周りの子のことも考えていたとは思うけど、口下手でしたし、それを言葉にするようなタイプではなかった。

健太が今、一緒に過ごす二軍選手の苦しみをあえて言葉にして披露したということは、それだけ、健太も苦しいということでしょう。周囲に配慮できるようになった成長がうれしかった反面、ブログが更新された2日後の8月8日、心配になって電話しました。