北康利 第2回
「講演の最後、"1切れのパンを分かち合う友達"の大切さを強調されたとき、開高先生の声色が明らかに変わっていました」

撮影:立木義浩

第1回はこちらをご覧ください。

セオ 北さんは天王寺高校に通っていたときに開高健先生の講演をじかにお聴きになった貴重な生き証人なんですよね。

 はい。開高先生の頃は旧制天王寺中学で、わたしの時代には大阪府立天王寺高校になっていたんですが、わたしが通っていた当時も校舎は戦前のものでしたから、開高先生が通われていた旧制中学のころの雰囲気を色濃く残していました。廊下などはまるで鶯張りのように、歩くたびに哀しげにさえずっていましたよ。

シマジ まるで京都の二条城みたいですね。

 いかにも「伝統校に入学した」という感じがして、それがわれわれの誇りでした。

そして忘れもしない1978年の11月27日、開高先生の講演が、その前年に建ったばかりの新しい講堂で行われました。雨上がりの午後のことでした。

セオ シマジさんが責任編集長をしていた雑誌『マグナカルタ』の第5号にその幻の講演録が掲載されていましたが、あのテープはどういう経緯で発見されたんですか?

シマジ あの録音テープは天王寺高校の図書館の隅に眠っていたらしいんですよ。わたしと親しい足澤公彦から以前にその話を聞いていたので、彼に頼んで再生してもらったんです。

 開高先生はそもそも講演が大嫌いで、あのときも20年ぶりにやる羽目になったとこぼしていました。「物書きは講演が上手くなると筆が鈍る」とも言っていて、わたしもこの名言を日々の自戒にしています。

ところが、そんなことを言っておきながら、じつは開高先生は講演の名手だったんですよ。講堂には割れんばかりの大爆笑が何度も起こりました。泣かせるところでは泣かせ、青春時代の大事なことに話が及ぶと聴衆はシーンと静まり返る。それはもうお見事でした。