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安倍晋三の正体
〜安倍家三代、華麗なる政治家一族の謎に迫る

【特別公開】松田賢弥『絶頂の一族』
〔photo〕gettyimages

すべては偉大なる岸信介の血を残すために……。安倍晋三の母・洋子の執念は、この華麗なる政治家一族の姿をいびつなものにしている。養子縁組を繰り返し、家を守ることによって何が生まれたか?

安倍家三代を丹念に取材し、「安倍晋三」なるものの正体に迫った衝撃の書『絶頂の一族〜プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』よりプロローグを特別公開します!


プロローグ ゴッドマザー・安倍洋子を軸にした三代

養子縁組に依存するファミリー

11月とはいえ、時にあたたかい陽だまりの芝生の上で坊ちゃん刈りにカーディガンを羽織った二人の幼い男の子の間を、背広姿の初老の男が一緒に駆けっこに興じている。『毎日グラフ』(1956年12月9日号)に載ったスナップ写真の一枚で、男の子は4歳の安倍寛信と2歳の弟の晋三、初老の男は発足したばかりの自民党の幹事長・岸信介である。二人の男の子は、岸の娘・洋子が産んだ孫だった。この時、岸は60歳だった。

都内でも指折りの高級住宅地としてその名が知られる渋谷区南平台。岸が自身の邸宅に隣接する往年の名女優・高峰三枝子の五百坪の土地と屋敷をそっくり借り受け、二軒合わせて自宅兼迎賓館として使い出したのは56年夏のことだ。ヨチヨチ歩きの二人の孫と岸が戯れる芝生は、高峰が映画人らを招き華やかなパーティに酔いしれた場所でもあった。

スナップ写真の中には、口に入れた指をしゃぶる晋三が兄の寛信に仲睦じく寄り添う一枚もある。キャプションにはこう記されている。

「ガランとした(岸)私邸の応接間で遊びに来た孫たちが〝いちばん目に好きなおじいちゃん〟の現われるのをまっている 好きな理由は〝いつもいいものをくれるんだもの〟」

ちょうどこのスナップが撮られた頃、父の晋太郎は毎日新聞社を辞め、外務大臣・岸の秘書官に転身。さらに58年、晋太郎は旧山口一区から衆議院選に出馬し、初当選している。

晋三の弟で、三男の信夫が生まれたのは、翌59年のことだった。実は、晋太郎と岸の長女・洋子が結婚する際、「三人目が男なら岸家の養子とする」との約束事が交わされていたという。岸の長男である信和と仲子夫妻に子供ができなかったからに他ならない。

信夫が生まれてすぐ、晋太郎夫妻と信和夫妻に、岸の弟・佐藤栄作(後の総理)が加わって話し合いがもたれた。野上忠興『気骨 安倍晋三のDNA』(講談社)によると、席上佐藤が「晋太郎、本当に出していいんだな」と強く念を押す場面があったという。また、岸も「洋子、無理をしなくてもいいんだからね」と言い、洋子がわが子を手放すことをためらったという話もある。

岸は、自分が中学卒業と同時に養子に出された身だけに、ことのほか孫の信夫を可愛いがった。安倍家へ頻繁に遊びに来る信夫は、洋子を「おばちゃま」と呼んだ。養子に出された事情を知りながら口に出さない寛信・晋三兄弟のことは「おっきい兄ちゃん」「ちっちゃい兄ちゃん」と呼び、彼らの方は「ノブちゃん」「ノブオ」と声をかけて育った。

名門の血脈を守り、絶やさないために養子縁組に依存するこのファミリーに育った晋三。

これまで繰り返されたのは佐藤、岸両家の血が入り混じることだった。その先に、晋太郎が加わることで安倍家の血脈が生まれた。さらに、三男・信夫を岸家の養子に迎える。岸家にすれば血のいわば逆輸入によって血族が保たれたのである。ただ、洋子は、わが子・信夫を養子に出したことを悔いていた。それは、後に信夫が政治家になるにあたり、育ての母・岸仲子の悲劇を生むことになる。