読書人の雑誌『本』
発行部数という「魔物」に取り憑かれた
大手新聞社の「暗部」を暴く

〔photo〕gettyimages

会社という組織において、営業部門は花形のはずである。しかし大手新聞社では、経営を支える販売局が「ブラックボックス」だの「伏魔殿」だのと疎まれている。それはなぜか? 発行部数という魔物に取り憑かれた新聞の「闇」に迫る。


 

新聞を愛するみなさんへ

文/幸田 泉(元全国紙社会部記者)

巨大な発行部数の裏にある「カラクリ」

新聞社に記者として入社した私は、中間管理職の歳になってから、販売局に異動を命じられた。販売局で私を迎えた上司は、冗談めかしてこう言った。「伏魔殿にようこそ」と。

会社という組織において、営業部門は花形のはずである。金を稼ぐ部署に優秀な人材を配置し、その仕事を尊重しなくては会社の発展はない。

しかし、新聞社では経営を支える販売局が、ブラックボックスとか伏魔殿などと社内で陰口を言われる。営業部門の主役が、魔物の館のように疎まれるのはどうしてなのか。

新聞販売が「普通の商売ではない」ということを、新聞社に勤務する人間であれば誰しも薄々、分かっているからだ。何十万部、何百万部という発行部数の裏に、何かカラクリがあると認識しつつ、見て見ぬふりをするために、いつしか新聞社には販売部門を社内の伏魔殿と位置付ける必要が生まれたのだと思う。

ビジネスホテルやレストランに、「ご自由にお持ちください」と新聞が積まれているのを、見たことがある人は多いはずだ。新聞販売店が宣伝を兼ねて提供しているのである。

先日、百円ショップに行ったところ、割れ物を包むセルフサービスのカウンターに新聞が積んであった。自宅に配達された新聞と同様にピシッと二つに折りたたまれ、誰かが読んだ後の古新聞を集めてきたのでないのは明らかだった。

こうした〝ふしぎな新聞〟が世に出回るのは、新聞社が実際の読者数を大きく超える部数の新聞を発行しているためだ。