サッカー
二宮寿朗「アジアで勝てない現実から学ぶこと」
〔photo〕Getty Images

実績残したオフトジャパン

「どんな試合だろうが代表のユニホームを着たら、絶対に負けられないという気持ちを強く持たないといけない。それが代表選手としての僕のプライドだった」

 これは日本代表のW杯初出場を目指し、オフトジャパンを引っ張ったラモス瑠偉(現FC岐阜監督)の言葉である。

 1993年10月28日、オフトジャパンはアメリカW杯出場に王手を懸け、イラクとの大一番に臨んだ。2-1で迎えた後半ロスタイム、意表を突くショートコーナーから同点に追いつかれ、W杯行きのチケットを目前で取り逃がしてしまった。人々は呼んだ。“ドーハの悲劇”だと。

 オフトジャパンというと“ドーハの悲劇”ばかりがクローズアップされるものの、彼らによって日本サッカーが変革期を迎えたことを忘れてはならない。1年半もないハンス・オフトの在位期間で国際Aマッチは16勝7分け4敗の好成績。特にアジア勢に対しては1敗しかしておらず、彼らはアジアで勝ち切ってきた。

 W杯にはあと一歩で届かなったとはいえ、東アジアの国際大会であるダイナスティカップで優勝を遂げ(戦後初となった国際タイトル)、さらにアジアカップ広島大会を制すなど「アジアの盟主」になる足がかりをつくったのだ。

 しかしながら、その足もとが今ぐらついている。今年1月のアジアカップ豪州大会はグループリーグ3連勝を飾りながら、準々決勝のUAE戦でPK戦の末に敗れた。そして6月、ハリルジャパンとして初めての公式戦となったロシアW杯アジア地区2次予選シンガポール戦は23本のシュートを浴びせながらもスコアレスドローに終わり、8月の東アジアカップは1度も勝利を手にすることができなかった。

 アジア相手に4試合未勝利となると久々らしい。加茂周監督が解任され、岡田武史監督が引き継いだ97年のフランスW杯アジア最終予選以来(9月のUAE戦から4分け1敗で5戦未勝利)のことであり、実に18年ぶりとなる。

 世界に目を向けなければならない。と同時にアジアを勝ち抜かなくては世界の舞台には立てないのだから、ここをおろそかにしてはならない。

 シンガポール戦は確かに日本が内容で圧倒していた。東アジアカップは確かに準備期間に充てる時間がなかった。結果だけでは語れないものはある。とはいえ勝てなかった事実を重く受け止める必要があることを、過去から学べるのではないか。