オリンピック
それでもあの五輪エンブレムは”パクリ”ではない!
〜そもそもデザインとは何か?

河尻 亨一

真のオリジナルなど、ほとんどありえない

「何にも似ていない」という条件は、デザイナーたちにとってかなりのプレッシャーとなりうる。

そもそもデザインとは、目に見えない時代の空気を自分の中にスキャンして、それと自身の感性(美意識)とを照らし合わせながら、課題の解決に向けた"目に見えるもの"を計画する才能が求められる。

その意味ではその人たちは"パクりの達人"とも言えるかもしれない。大きく言うと「わかりやすくそれをやるタイプ」と「わかりにくくそれをやるタイプ」があるわけだが、いずれにせよ既存のモチーフを用いて「足したり引いたり掛けたり割ったり」をしないと、伝わるものにはならない。真のオリジナルなど、この世にほとんどありえない。

つまりデザイナーは決して無から有を生み出しているわけではない。応募者や審査者が類似を忌避しようとするあまり、やたら複雑なものや奇を衒ったもの、世間に媚びを売るようなエンブレムにならないといいのだが。

亀倉雄策氏の「1964」を超えるのは相当なハードルの高さとはいえ、それに力負けしない前向きな21世紀のエンブレムが、たとえばまだ無名のデザイナーから生まれたら素晴らしいだろう。

出典:NIPPON DESIGN CENTER

その一方で、一部主張されている一般公募は現実的に無理だと私は考える(現状では)。佐野氏いわく「(エンブレム決定後は)どこに気を遣えばいいかわからなくなるほど気を遣う」作業の連続だったようだ。提出規定も細かく、「様々な使用シーンにおいて飽きがこず長年使えるものを」と考えれば、あらゆる条件・難題に対応できるプロでないと制作は正直厳しいのではないか。

たとえば、巷で人気の「扇」のロゴなどは、それ単体で見るとよさげに思えるのかもしれないが、自己主張が強いデザインのため何年も見ていると飽きるかもしれないし、スポンサーのロゴ等と並んで使用されたときに浮いて見える恐れもある。各種メディアで自在に展開可能なものかどうか現段階ではわからない。そもそも五輪エンブレムのデザインルールを満たしてもいない。佐野氏のデザイン案はそのあたりの課題もすべてクリアしていたのだが…。