国際・外交
「70年談話」をどう評価する? 賛否両論の中で安倍官邸が一番喜んだのはこの「解説」
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「70年談話」の評価が割れている

安倍晋三首相が8月14日夕の記者会見で「戦後70年談話」を発表してからほぼ一週間が経った。そして首相談話についての評価は割れている。

まず、同日夜のテレビ朝日「報道ステーション」に出演したノンフィクション作家の保阪正康氏の手厳しい指摘である。

首相談話の四節目「当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済ブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました」について、「ちょっと待て、ということですね」としたうえで以下のように語った。

「こういう歴史の俯瞰図は、当時の1930年代の日本が太平洋戦争を起こすときの論理とかなり通底しているのです。経済ブロックが戦争の原因であるというのは確かに一面としてありますが、もっと大事なことは軍事ファシズムなのです。軍事ファシズムがどういうような形で膨張していって、海外にどういう形で国益を得ることとして広まったのか。そこのところがきちんと押さえられていない」

さらに次の節の冒頭にある「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』になっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして70年前。日本は敗戦しました」を指して、次のようにコメントした。

「(国際連盟脱退の)昭和8年から(敗戦の)昭和20年までの間に、中国への軍事行動、アメリカとの戦争、その間にノモンハン戦争もありますけれど、そういうものがここに実に簡単に『国際秩序』への『挑戦者』になっている。これがよく分からない。軍事的な侵略は国際社会の秩序に対して挑んだということなのか、あるいはパリ不戦条約を1931年満州事変という軍事的行動で結果的に破る形なったのですが、そういうことを言っているのであれば、もっと具体的な言葉で言わないと史実というのは掌握できない」

要は、「侵略」というワーディングを使ってはいるが、日本が満州事変から敗戦までの間に何をしたのかの事実がすっぽり欠落しているという指摘だ。

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