現代新書

タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
〜終戦の1週間後に生まれた稀代の芸人の半生

【前書き公開】近藤正高=著『タモリと戦後ニッポン』
近藤 正高 プロフィール

 歴史を叙述するにも「国民史」が成立する時代ではとうにない。国民あるいは日本人という概念がゆらぎ、もはや必ずしも自明のものではなくなってしまっているからだ。たとえば国際化の進行にともない、移民政策こそとられてはいないものの日本国内には大勢の外国人が住み、同時に海外在住の日本人も大幅に増えた。

 しかし私はあえて、タモリを軸に戦後70年の「国民史」を描いてみたいと思う。ここで採るのは、タモリを起点に人と人とのつながりをたどっていくという方法だ。そうした関係性からある時代の日本(人)の姿を浮かび上がらせることはできないか、というのが本書のいま一つのねらいである。

 思えば、タモリはデビュー当時より日本的な村社会、共同体意識を舌鋒鋭く批判してきた。一方で彼の足跡をたどっていくと、来る者拒まず去る者を追わずといったゆるやかな人とのつながりを常に志向してきた印象を受ける。それだけに彼の言う「国民」には、国籍や定住の如何、あるいは言語などといった枠にとらわれない、より広い意味が含まれているような気がしてならない。

 話がちょっと堅くなったが、私が本書でとりあげたいのは、たとえばこんな話である。

 あるときタモリは、ゴルフの練習場でたまたま出会った「見た目がヤクザみたいな男」と一緒にゴルフに出かけることになった。その男の運転する車で話をするうちに相手が自分と同い年だと知る。そこでゴルフ場に着くまで暇つぶしに、自分たちが生まれてから一年ずつ、その時々で何をしていたのか互いに話すことにした。そうやって話しているうち、意外にも両者はかつてあるところですれ違っていたかもしれないことがわかった。

 それはタモリが大学時代、東急東横線の都立大学駅近くに住んでいたときのこと。相手もまた同じ年に、そのすぐ隣りの学芸大学駅の工場(東急車輛製造の碑文谷工場だと思われる)で働いていたことがあるというのだ。当時から鉄道好きだったタモリはその工場を毎日見ていた(「タモリ先生の午後2006。」第五回、「ほぼ日刊イトイ新聞」)。

本書ではもちろんタモリと場所と時間を共有した著名人もたくさんとりあげるつもりだが、それとあわせて、例の「見た目がヤクザみたいな男」のようにタモリとどこかですれ違っていたはずのより多くの人たちにも目を向けたい。そんな有名無名の人たちとの接点にこそ時代性とやらは宿っていると思うからだ。

 というわけで本書には多くの場所が登場する。大学、ジャズ喫茶、ボウリング場、酒場、生放送のスタジオetc. ……タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出せたらいいのだが。

 まずは彼の幻の故郷ともいうべき旧満洲を旅してみることにしよう。

目 次
序 章 偽郷としての満洲
第1章 坂とラジオ、そしてジャズ 祖父母に育てられて
第2章 大学紛争とダンモ研狂騒曲 森田一義から「タモリ」へ
第3章 空白の7年間 ボウリングブームのなかで
第4章 ニッポン最後の居候 タモリ出現
第5章 テレビ「お笑い」革命 芸能人と文化人のあいだで
第6章 “変節”と“不変” フジテレビの絶頂と『笑っていいとも!』
第7章 「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム テレビは終わらない
終 章 タモリとニッポンの“老後”

近藤正高
1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー誌「クイック・ジャパン」(太田出版)の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジスタニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。現在、ウェブサイト「cakes」にて物故した著名人の足跡とたどるコラム「一故人」を連載中。ブログ:Culture Vulture(http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/)、ツイッター:@donkou
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