現代新書

タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
〜終戦の1週間後に生まれた稀代の芸人の半生

【前書き公開】近藤正高=著『タモリと戦後ニッポン』
近藤 正高 プロフィール
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戦後史と歩みをともに

本書はタモリの足跡を通して戦後ニッポンの歩みを振り返るというものである。なぜ、タモリを軸としたのか。それはまず何より、彼が1945年8月22日と終戦のちょうど一週間後に生まれ、その半生は戦後史と軌を一にしているからである。

 テレビでも彼と戦後史を結びつける企画はたびたび組まれてきた。私が彼の生年月日を知ったのも、88年の1月3日にTBS系で放送された『新春タモリのおぼえていらっしゃいますか?』という番組によってだった。

 さらに時代を下って、2015年元日にはNHKスペシャルの大型シリーズ『戦後70年 ニッポンの肖像』のプロローグにもゲスト出演した。同番組でタモリは戦後史にまつわるさまざまなうんちくを傾け、作家・昭和史研究者の半藤一利ら共演者をうならせていたのが記憶に新しい。

 テレビだけでなく、タモリ自演による『タモリ3 戦後日本歌謡史』(1981年)というレコードも制作されている。これは制作時より著作権等の問題を指摘され、その後一部レコード店でのみリリースされたものの結局販売中止となったいわくつきの作品だ。

『タモリ3』には、終戦直後から1980年まで35年間の流行歌が詞を替えるばかりか曲も微妙にアレンジされて収録されている。それ以上に私が秀逸だと感じるのは、曲のあいまに挿入された各時代の有名無名の人物たちのスケッチだ。そこでは降伏文書調印式におけるマツカサ元帥(いうまでもなく連合国軍最高司令官のマッカーサーがモデル)のスピーチに始まり、50年代の「うたごえ運動」に参加する労働者、集団就職で上京した農村出身の若者、60年代のグループサウンズ(GS)ブームを批判する街の声、1970年の大阪万博開催に興奮する地元関係者、さらには教育テレビで語るロックミュージシャンの矢沢平吉(モデルは矢沢永吉)まで、いかにもそれっぽく・再現・されている。

 単なる流行歌のパロディに終わらず、それぞれの歌が出てきた状況まで模写してしまう。これぞまさにタモリの芸の真骨頂といえる。本書ではそのひそみにならい、タモリが世に出る時代背景をできるかぎり細かく描いてみたい。

ウォーホルとの共通性

 いま書いたように『タモリ3』にしても、またインチキ外国語などタモリの初期の芸にしても、単なるパロディではない。彼自身、自分が重視しているのは「どうしたら対象になりきれるか、その心境にまでいけるか」ということで、それはパロディとは違うだろうと語っている(『広告批評』1981年6月号)。

 タモリの芸がパロディではないというのは、20世紀後半のアメリカを代表する画家、アンディ・ウォーホルの作品がパロディでないのと何だか似ている。

 デビューまもないタモリの芸をライブで見たコピーライター・糸井重里は、そのレポートに《タモリのものまねは、芸の世界におけるポップ・アートの登場として考えられる。ウォーホールのキャンベル・スープと同じくらいに偉いことだと思ってよい》と書いた(『ミュージック・マガジン』1976年4月号)。

 ウォーホルがキャンベルスープ缶など大量生産・大量伝達されて日常的に見慣れたイメージを好んで画題にとりあげたように、タモリのモノマネの対象もNHKのアナウンサーなど、それまで誰も気にもとめなかった「フツー」から選ばれていたからである。

 可能なかぎり自分を対象に近づけるというタモリのモノマネは、ウォーホルが写真をシルクスクリーンに転写するという感情や作家性を極力排した手法を採ったこととも重なる。

 ウォーホルの画家としての個性は、テーマの選択やとりあげ方にこそある。マリリン・モンローや毛沢東のような誰もが知っている人物を描いても、繰り返し転写したりさまざまな色をつけたりすることで、単なる肖像画とはまるで違う意味を生じさせた。

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