【リレー読書日記 生島淳】
不気味に壊れゆく日本。恋愛にも似た魅力を放つリーダーはどこに?

村上龍、おそるべし

村上龍の新作『オールド・テロリスト』の初版が発行された6月30日、71歳の男性が新幹線内で焼身自殺した。これは何かの符合か? 読まずにはいられないじゃないか。

希望の国のエクソダス』にも登場した元週刊誌記者のセキグチは、放送局でのテロ予告を取材するように週刊誌の編集部から連絡を受ける。半信半疑でそこに向かうと、予告は現実のものとなった。このテロを仕掛けたのは、老人たち――オールド・テロリスト――だということが見えてくる。

このあとも胸が悪くなるようなテロが次々に発生するが、最初の舞台となった放送局は、私も毎週仕事で向かう場所で、構内が正確に描写されており、不気味なほどリアリティが高まる。

日本を舞台にしたテロを読むのは気分がいいものではないし、「3・11」以降、日本は十分にひどい国になっていると思うが、さらに壊れていく様子を読むのはつらい。読むのを放棄してもおかしくはなかったが、ふたつの理由で最後まで一気に読み切った。

ひとつは物語の疾走感。今年63歳になった村上龍、おそるべし。この本には章立てというものがなく、一気に563頁まで突っ走る。これだけの物語を読ませる「作家体力」は大したものだ。

もうひとつは、カツラギという女性の存在だ。セキグチが取材先で出会う謎の美女だが、たまプラーザのカフェで、彼女は面と向かって「わたしは、犬だったんです」と告白し、「心を空っぽにして人形になるんだと言い聞かせて、知らない男の人にお尻を突き出し、犬になっていました」とまでいう。気味が悪い。

ところが物語が進行するにつれ、カツラギがどんどん魅力的になる。

「道行く男たちは、カツラギだけを見て通り過ぎ、何人かはわざわざ立ち止まって振り返った」とあるように想像力を刺激する美女だが、彼女は表面上の付き合いを嫌い、どんな相手にも遠慮なく、ピュアに質問をぶつけていく。村上龍はカツラギに人間の本能的な強さ、賢さを仮託している。

荒唐無稽(とは言い切れないところが怖いのだが)な物語は、カツラギの「セクシュアリティ」(不思議なエロさ)と「ピュリティ」(純粋さ)によって推進力を持った。

どこか現実世界にカツラギは、いないものか。私は彼女に会ってみたい。

「私」視点の語りの愉しさ

セキグチはホームレス同様の生活をおくっているときに、大久保の将棋道場で時間を潰していたが(わずかなお金で長時間滞在できるのだ)、北野新太の『透明の棋士』は報知新聞の観戦記者による将棋界の人物ルポだ。