「あんなの人間の遺体やない!」日航機事故で娘3人を失った夫妻の怒り

西村匡史著『悲しみを抱きしめて』
西村 匡史

「初めて体育館で遺体に会わせてもらったときは……忘れられへん」

御巣鷹の尾根にある墓標の前で、輝子さんが当時の様子を話してくれたことがある。その場で力なく腰を下ろし、首を振りながら言葉に詰まった。

「これは遺体やない、山の木を焼いたんやろって。声がひとりでに出たんよ。そのあとは私あまり意識ないね」

輝子さんの沈痛な表情を見て親吾さんが代わった。

「あまりにも酷い状況下で感覚が麻痺し、臭いも気にならない。涙も一滴も出なかった。ただ娘たちを確認することだけに無我夢中やった」

3人の娘は燃料タンクの近くに座っていたため、火災による遺体の損傷が激しかった。

親吾さんの弟で現地に駆けつけた田淵友一さんは当時、大阪府警の警察官を務めており、仕事柄遺体と向き合う機会が多かった。だが、遺体のあまりの損傷の激しさに「兄夫婦には絶対に見せられない」と思ったという。

結局、輝子さんは満さんの手の一部だけは自分で確認した。満さんの手にあった傷の特徴を知っていたのは輝子さんだけだったからである。確認する箇所以外は全身が包帯で巻かれていたが、それでも変わり果てた姿が目に焼きついて離れない。

「バカにするのもいいかげんにせえって言ったんや。人間の遺体というよりは炭のようやった」

 

3人の遺体の最終確認を終え、大阪の自宅に戻ったのは20日。2日後の22日に葬儀が行われた。

輝子さんは、陽子さんの柩に、白地に赤い花柄模様の振り袖を入れた。長女のために自分で仕立てたお気に入りのものだ。満さんの柩には、成人式のために用意していた反物を急いで仕立てて入れる。純子さんには、陽子さんが成人式で着た赤地の振り袖を分けて入れてあげた。

葬儀の様子を撮影した写真が残されている。祭壇には陽子さんの遺影を中央に左手に満さん、右手に純子さんの写真が並んだ。

位牌をもつ親吾さんはうな垂れ、その傍らに立つ輝子さんは憔悴しきった表情をしている。中学生だった純子さんの同級生をはじめ、歩道から溢れ出そうなほど多くの参列者が3台の霊柩車を見送っていた。

本当に大変だったのは葬儀が終わった後だった。輝子さんが錯乱状態に陥ったのである。

『悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年』
著者=西村匡史
講談社/定価890円(税別価格)

●内容紹介●
悲劇の事故から30年。深い悲しみの果てに遺族たちがつかんだ一筋の希望。感動秘話

●3人の愛娘を失った夫妻の慟哭
●慰霊を支えた元零戦乗りの村長
●村一番の暴れん坊から「山守」に
●遺族から慕われ続けた日航社員
●遺族会をまとめあげた母の執念
●事故直後に生まれた遺児の感慨
●新妻を失った男性の「それから」
●あの遺書が自分を育ててくれた
●真相究明を続けた事故調査委員
悲しむ人と寄り添う人の感動秘話

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