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昭和が終わり、狂乱バブルはピークを迎えた……日本の分水嶺「1989年の呪い」を語ろう
田原総一朗×保阪正康×後藤正治

昭和は、西暦より身近だった。「元号に25を足して……」と計算していたものを、なぜか、あの'89年を境にやらなくなった。思えば、あれが日本の分水嶺だった—。

1989年/昭和天皇が崩御し平成に改元。冷戦終結が宣言され、バブル景気で年末に東証株価が史上最高値をつけた。NHK大河ドラマは『春日局』、流行語大賞の新語部門で「セクシャル・ハラスメント」が金賞に。映画『魔女の宅急便』『黒い雨』等が公開される。次ページに年表を掲載

「国民的」な存在が去った

保阪正康 1989年は、1月7日の昭和天皇の崩御から始まった年と言ってもいいでしょう。さらに美空ひばり、手塚治虫、松下幸之助といった面々が、この世を去っている。

後藤正治 まさに昭和を代表する人々ですよね。

保阪 当時は天皇崩御となったら殉死者が続々出るのじゃないかと心配する声がありました。ところが実際には、和歌山県で昭和天皇と同い年であることを誇りに思っていたという元兵士が命を絶ったくらいでした。

しかし、この年に昭和を体現する人々が次々と亡くなったことを考えると、私はどこかで、「神」が彼らを連れていったのかなとも感じるんですよ。

田原総一朗 あの頃、歌手の都はるみさんが一度、引退を宣言した。面白そうな人だったので、'89年にスタートした『サンデープロジェクト』にコメンテーターとして出てもらっていたんですね。そうしたら、美空ひばりが亡くなって特集を組んだとき、都さんがこう言った。

「私たち歌手というのは多くの場合、『歌がうまい人』です。けれども、ひばりさんは『全身歌手』で他の人とはまったく違った」。存在そのものが「歌手」であったと。

都さんだって大した歌手だと思うけれども、その彼女が涙を浮かべて、こう言った。それが強烈な印象として残っていますね。

保阪 「国民的歌手」と表現して、すんなり腑に落ちる存在は、彼女で最後だったかもしれない。好き嫌いはあったでしょうけれども。

後藤 戦後を体現していた人々が相次いで亡くなって、畏敬するような対象や目標が見えなくなっていった。'89年というのは、日本人の価値観が拡散し始めた年だったのかもしれません。

田原 わかりにくい時代になったわけだ。

後藤 一方で、日本社会はバブル景気に沸いていた。私は'89年前後、移植医療の取材で何度か米国に滞在していますが、ジャパンマネーが闊歩していた頃で、ロサンゼルスで一番と言われる名門ホテルなど、米国の不動産を日本企業が次々に買収していた。驚きました。

田原 ニューヨークのロックフェラーセンターを三菱地所が買ったりね。

後藤 ええ。 そういうバブルの狂乱を横目で見ながら、「こんな時代がいつまでも続くはずがない」とも感じていましたね。実際、'89年末に東証の株価が史上最高値をつ けた後、日本の株価、地価は一気に下落してバブル崩壊につながっていく。のちに「失われた10年」と呼ばれる経済の長期低迷が眼前に迫っていた。