文学BAR
2015年08月13日(木) いとうせいこう,高橋源一郎

「二度と戦争を起こさないぞ」って言うけど、いや、もう起きてるんじゃないの?

いとうせいこう×高橋源一郎 "あの日"の後に書くことについて 2

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いとうせいこうさん(左)と高橋源一郎さん(写真提供:日本近代文学館)

あの敗戦を私たちはどう受け止め、語り継いでゆけばよいのか? 時空を超えた「他者」をどうしたら本当の意味で慰霊できるのか? 

3.11と8.15……70年以上前と何一つ変わっていないこの国の無責任体制と、それでも希望を見失わなずに生きることについて、二人の文学者が語り合う。

この国は70年前から変わっていない

いとう:昨日ちょうど政治学者の白井聡さんと対談していて、そこでも引用したんですけど、坂口安吾が戦時下に、隠れキリシタンがどういうふうに処刑されたかということが延々と出てくる小説を書いたり、戦後間もなく「戦争の偉大な破壊」ということを言い出した。

いかにもシニカルなように見えるんだけど、今、戦前みたいな状態で読んでみると、あ、そうかそうか、坂口安吾のいう「戦争の偉大な破壊」というのは、金持ちであろうが貧乏人であろうが労働者であろうが資本家だろうが軍人だろうがなんだろうが、戦争の中で偶然殺されていく、無意味に飢える、その偶然の公正さのことを言っていたんだとわかったんですね。

逆にいうと、70年後、政治がある程度劣化した今現れているのは、その公正さというよりは、誰かが特権をもっている、これは平等ではない、だから自分たちにも利益をよこせというようなクレーマーたちがいっぱいいて、ひたすら平等という名の同質を求める動きで、その延長で今の政権は、法律を変えるというのならまだしも、それを骨抜きにするということをしようとしている。これでもし戦争になったら、それは公正さを見るような戦争じゃないと思うんですよね。

高橋:今、いとうさんもおっしゃったように、安保法制を戦争法案という言い方をして、いや、それは言いすぎだという意見もあるんですが、僕はそれでいいと思います。それほど大きな意味を、あの法案は持っていると思います。戦後70年経って、この社会、この国が大きく変わろうとしている。こんな時、本当にどうやって考えればいいのかということは、とても大切です。

さっき作家の仕事として、何か事件があったとき、深くよく考えるということと、何も考えなくとも即座に反応することとがあるといいました(→前回参照)。僕は別に即座に反応することが、よく考えるよりいいといっているわけじゃなく、どちらの機能もあるだろうということです。

僕は朝日新聞で「論壇時評」をやっているんですが(『ぼくらの民主主義なんだぜ』所収)、2011年の4月、3.11のちょうど一ヵ月後から始めたんです。最初は何ヵ月かに一回は事件が起きるのかなと思ったら、そうではなかった。戦後という時代を画するような大きい出来事が、ほぼ毎月起こっている。

以前だったら、安保法制ひとつで10年に一度の大問題だった。原発も、教育問題も、従軍慰安婦問題も、ひとつひとつすごく大きなことがあまりも立て続けに起こるので麻痺しそうなくらいでした。でも明らかに戦後70年の今、70年前の戦争が大きくクローズアップされてきた。僕は、この法案が通ったからすぐに戦争が近づくとは思っていません。でもこの国は、変わってないねと思ったんです。

いとう:そうですね。

高橋:70年以上前と少しも変わっていない。そこが一番僕が大きく感じるところです。

今回の対談のタイトルが「あの日の後」ということで、「あの日」といえば、3.11以外も入ると思って提案したんですが、その時は8.15のことは考えていませんでした。戦後70年問題がこんなにクローズアップされるとは、思っていなかったんです。

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