文学BAR
2015年08月12日(水) いとうせいこう,高橋源一郎

いとうせいこう×高橋源一郎
「歴史的な出来事」を前に「文学」は何ができるか

"あの日"の後に書くことについて 1

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いとうせいこうさん(左)と高橋源一郎さん (写真提供:日本近代文学館)

「歴史的な出来事」が起きた時、文学者はそれとどう向き合うか。3.11から間をおかずに作品を発表した二人の作家いとうせいこうさんと高橋源一郎さんが、"あの日”の後に書くことについて語りあった(全3回)。初回は、15年間(!)のスランプを抜けて3.11後に書かれたいとうさんの小説『想像ラジオ』を中心に、3.11のこと、小説だからできること、そして作家にとって「スランプとは何か」を明かします。

3.11の後に何を書くか

高橋:こんにちは、高橋源一郎です。

いとう:いとうせいこうです。よろしくお願いします。

高橋:まず最初に僕の方から、いとうさんとの出会いのことをお話しますね。僕がデビューしたのが1982年なので、確か83年ころ、今から32年くらい前に、当時付き合っていた女の子から、「面白い芸人がいる」と聞いたのが最初です。で、東横線の日吉のある怪しげなマンションに行ったんです。そしたら、いとうせいこうさんが、ピン芸、一人で芸をやっていた。まだ20代だった?

いとう:たぶん20代前半。

高橋:講談社の社員だったころですね。

いとう:社員だったんじゃないかな。

高橋:マンションのワンルームに30人くらい集まっていて、いとうさんが立って一人で芸をやっているんですが、あまりにシュールすぎてほとんど誰にもわからない(笑)。例えばどういうのかというと、マルクスとヴィトゲンシュタインの会話みたいなのをやっていて、みんなポカーンとして、僕だけ笑っていた。

いとう:思想ものまねですよね。タモリさん的なね。それ、高橋さんに前も言われたけど、細かいネタについてはぼくは覚えてないんです。

高橋:そういうのをいくつか見て、これはすごいって興奮した。あの人なんだろうって思っていたんですが、何年かしたら、いとうさんが音楽、ヒップホップをやって、気が付いたら小説を書くようになっていた。名前をはっきりと覚えてなかったので最初結びつかなくて、よく似た人がいるなと思ったら、いとうさんだった。

いとう:で、ぼくは『ノーライフキング』っていう小説を最初に書いたんですけど、その本の帯は高橋さんに書いていただきました。

高橋:『ノーライフキング』を88年に発表して、それからいとうさんは小説を書くようになったんですが、今でいうと、又吉直樹が小説を書いたようなものですね。あの小説を読んで「これはすごいな」と思った。でも、その後しばらくして、いとうさんは長い沈黙の時期に入ってしまった。

いとう:そうですね。

高橋:もちろん、ヒップホップや舞台の活動はずっとされていたんですけど、小説やめちゃったのかと思っていたら、東日本大震災の3.11の後に、『想像ラジオ』という小説を書いて戻ってきた。結局、小説は何年くらい書いてなかったことになります?

いとう:多分15年くらい書けなかったですね。

高橋:なので、今日のテーマは「あの日の後に書くことについて」ですので、一つ目の「あの日」として、3.11の話をまずしようと思っています。

作家のスランプ "小説ウツ"

高橋:いとうさんは、こういう質問はずいぶんされたと思うんですが、15年、書かないでいるのは相当長い。僕も書かない期間が結構あるんですけど。なぜ書かなかったのか、それからなぜ3.11の後に、『想像ラジオ』という久しぶりの小説で、震災のことを直接的に描いたのか。

ああいう小説を書いた理由は、いとうさんの口から、もし説明できるとすれば、どういうことになるのでしょうか?

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