現代新書

ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか

【まえがき公開】速水健朗=著『ラーメンと愛国』
速水 健朗 プロフィール

本書はラーメンについて書いた本であるが、ラーメンの歴史そのものに何か新しい項目を付け加えたりする性格のものではない。ましてや美味しいラーメン屋の情報などについても書いていない。日本の戦後のラーメンの普及、発展、変化を軸とした日本文化論であり、メディア史であり、経済史、社会史である。

とはいえ、大上段から刀を振り下ろそうと思っているわけではない。ラーメンという最も大衆的なところから、日本人について考えてみたいというのが筆者のスタート地点である。

筆者のラーメンへの興味、それは端的に言えば、以下の二つに集約される。一つはグローバリゼーション、二つ目はナショナリズムである。

開国後の日本において、つまりグローバリゼーションのとば口である明治時代に中国から伝わったラーメンは、日本で独自の進化を遂げ、すっかり日本の料理となり、いつのまにか国民食とまで呼ばれるようになった。〝国民食〟と誰が言い出したのかは知らないが、それは何の疑問もなく受け入れられ、もはや定着した呼び名である。日本古来の食べものでもなく、たかだか一〇〇年あまりの歴史しか持たないラーメンが、なぜこのように呼ばれるようになったか。それが、本書を書くに至った理由の一つである。

ラーメン評論家の故・武内伸は、南京そばが現代のラーメンへと進化する上で、三つの大きな発明があったという。一つ目は「スープに醤油を入れたこと」、二つ目は「鰹節や煮干など和風ダシを加えたこと」、三つ目は「麺を縮らせたこと」であると。

日本人は古来、外から伝えられた技術を自分たちの創意工夫によってローカライズ、つまり日本人に適したものに作り替えることを得意としてきた。かつての稲作技術、火縄銃、近代化以降は、自動車や半導体、文化産業ではアニメやゲーム、和製ヒップホップやジャパレゲなんかもそうだ。これらはすべてグローバリゼーションのローカライズの事例である。こうしたケースの中に、ラーメンも加えることができるのである。

もう一つの興味は、ナショナリズムである。

かつては中国文化の装いを持っていた(雷紋や赤いのれんに代表される)ラーメン屋の意匠が、すっかり和風に変わった。さらには、作務衣風の衣装をまとった店員や手書きの人生訓(相田みつをや片岡鶴太郎を思わせる)が壁に掛けられているようなラーメン屋が主流になった。

こうした変化を本書では〝作務衣化〟と呼び、それ系のラーメン屋を〝作務衣系〟と呼ぶことにしたい。こうしたラーメン屋の変化は、常々気にかかっていたものであり、命名が必要な気がしていた。そう、いつからかラーメンは、気軽なファストフードから行列をつくる大仰な食べものに変わり、脱サラしたオヤジではなく活気のある若者がつくるものに変わり、店内には説教くさい手書きの人生訓が飾られるようになった。

ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか。

「人生は自己表現、ラーメンは生きる力の源」
「俺たちは今、まさに旅の途中だ。(中略)一杯一杯のラーメンを元気に真心こめてお客さまにお届けしよう!」

これらは、どちらも別々の超有名ラーメン屋に、実際に掲げられている標語である。

いまどきのラーメン屋は、ラーメンにのせて自分の思想まで語り出しかねない。「ラーメンは俺の生き様」と大きく手書きで貼り出すラーメン屋が実際にある。だからどうしろというのだろう。とにかく、ある時期からラーメン屋というものが、自らを語り始めるようになり、ラーメンは「ラーメン道」になったのだ。