現代新書
日本人はヒトラーをどう見ていたか?
〜ファシズムへの共感が広がった理由

【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』4
日本人はヒトラーのことをどう思っていたか〔photo〕Getty Images

日本はなぜファシズムに傾斜していったのか? モデルとなったのはもちろんヒトラーのナチスドイツ。当時の日本人はこれをどう見ていたのだろう。ヒトラーのナチズムが「先進的な模範モデル」として徐々に共感を広げていった様子を追う。

(*井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』より「Ⅳ章 カリスマ待望と戦争」を4回に分けて特別公開。最終回)


 

ファシズムへの共感

ヒトラー・ユーゲントの一大旋風

日本国民に枢軸国に対する親近感を抱かせるうえで、大きな政治的・社会的役割をはたしたイベントとして、ヒトラー・ユーゲント(ドイツ青少年団)の来日がある。

1938(昭和13)年8月、横浜港にグナイゼナウ号で来日した一行30名余は、11月に神戸から帰国の途につくまでの約3ヵ月間、日本に一大旋風を巻き起こすことになる。

写真壁新聞も逐一、報道する。8月19日号「ようこそ!!若き盟友!!/青年日本の歓迎裡に憧れの帝都へ」は、「バンザイバンザイの熱狂的な青年日本の歓迎陣に迎えられて……防共の誓新たなるを覚える中に宮城へ堂々と行進を起した」として、宮城前を行進するヒトラー・ユーゲントの写真を載せる。その写真は東京駅から宮城へとハーケンクロイツの旗を先頭に行進するヒトラー・ユーゲントを取り巻く人びとが埋め尽くしている。

歓迎を受けるヒトラー・ユーゲント(同盟通信写真ニュース1938年8月19日号)

写真壁新聞は、他方でドイツを訪問する日本の青少年団の様子も伝えている。8月21日号「独逸各地で歓迎攻め/我が訪独青少年団代表一行」は、港に到着した直後の行進風景の写真である。

ヒトラー・ユーゲントの足跡を追う写真壁新聞は、9月21日号で大島の三原山を登山する一行の姿を伝えている。「活火山を持たぬドイツ国民とて火山ではすっかり驚嘆〝凄い凄い〟を連発して下山」したという。

ヒトラー・ユーゲントの来日の政治的・社会的影響は大きかった。一行の様子は多くのメディアが報じた。『ホーム・ライフ』もそうである。1938年10月号は、3頁の特集を組んでいる。「万歳・ヒットラー青年」は、靖国神社を参拝する一行の写真である。横浜港上陸から東京駅前、富士登山、山中湖畔での「日本青少年団交歓キャンプ」の写真がつづく。

模範国としてのナチス・ドイツ

注目すべきことに、亀井貫一郎「この世界観──自由主義を揚棄する所以」が同じ号に掲載されている。亀井貫一郎とは、社会大衆党の幹部のひとりで、近衛内閣の成立に協力した人物である。当時、亀井は前年に訪問したドイツから帰国し、近衛新党の結成を画策していた。

亀井は同論考において、「日本はナチス・ドイツの真似をしているとよくいわれる」と言う。ところが亀井によれば「これはまちがいで、実はナチス以前の統制の真似をやっているにすぎない」。日本はナチス・ドイツと同様に「新らしい文化を建設するために、自由主義を揚棄するのである」と力説する。

「そのためには男性も婦人も『性』を超越し、一つの目的へ向わねばならない、この世界観さえしっかりしていれば、末梢的な梅干弁当や、見当違いの勤労奉仕などから起る矛盾も解消すると思う」。

ナチス・ドイツは男女間の格差を是正する新しい文化と生活様式を創造する国である。亀井にとってヒトラーのドイツは、この意味で日本の模範国だった。

ドイツの社会的な影響は『ホーム・ライフ』にもおよんでいる。その具体的な現われの一つが日本の「民族優生保護法案」への関心である。大和民族をより強く、より立派にしようとする法律にもとづく民族強化政策は、明らかにナチス・ドイツに範を求めたものだった。

同誌の1939(昭和14)年12月号は、「京大講師・医学博士藤森速水」に「ドイツに留学中何かと見聞したナチス・ドイツの民族強化政策」を語らせている。藤森は言う。

「国家が権力をもって人たるの本能を奪うのは怪しからんと説く人があるが、これは大変な誤解である。今日の進歩せる手術をもって断種法を施す場合、被手術者に何らの苦痛を与えず、しかも手術後も何ら人生の本能を阻害することなく生殖能力を差止めることができる」。