現代新書
なぜ日本人は昭和天皇を裁けなかったのか
【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』3
1946年3月、行幸先での昭和天皇〔photo〕Getty Images

敗戦後のドイツにはヒトラーという”絶対悪”があった。しかし、日本の戦後は違う。誰もが加害意識と被害意識を持ち、天皇が戦争責任を問われることもなかった。日本人にとって昭和天皇とは何だったのか? なぜ天皇を(心の中でさえ)裁けなかったのか? 

戦後論の新たな地平を切り拓いた赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』より、第1章「母と沈黙と私」を特別公開! 「日本一美しくて切ない8月15日論」です。

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北京オリンピックの夏

マスメディア、特にテレビが8月に季語兼良心の証のように言う「戦争」と「終戦」関連の話題がめっきり少なくなった分水嶺は、私見では北京オリンピックのあった2008年の夏だ。

それどころではなくなったというところなのだろう。

世界第2位の経済大国という戦後唯一とも言えるアイデンティティが、揺るがされ始めた、その象徴を、あの夏に日本人は見たのである。

だがしかし、不思議な話だ。中国に、今さら抜かれたわけじゃない。

古代からの大国、中国。中国文化こそを優れたものと昔の日本人は考えていた。

そして現在私たちが脅威に、あるいは恐怖視さえしている「理解不能の友人」中国共産党、それこそが、日本の戦後復興の「恩人」であった可能性が高い。なぜなら、中国が今の共産党でなく自由主義の中国国民党の政権であったなら、アメリカは戦後、中国と直接交渉をし、小島のような日本のことなど、さしたる興味も持たなかったはずである。

もともと、中国の利権をめぐっての交渉が決裂したのが日米開戦である。だとしたらメインの関心事は中国であって、それがなかったとしたら、アメリカは日本の一国占領にこだわらなかっただろうし(たぶん)、日本はアメリカとソ連の分割統治になったのが自然な成り行きではないだろうか。朝鮮半島のように。ドイツのように。そうしたら日本の今の姿はなかったはずだ。

ソ連があり中国共産党があったために、日本はアジアの要石となった。中国以外のアジアの国々で、冷戦の打撃を受けなかったのはほとんど日本だけで、それは、冷戦の一翼のほうに守られていたからだ。

北京オリンピックの2008年。世界的に見れば、それが戦争の疲弊とその後の冷戦構造に巻き込まれ翻弄され続けた国々が、ほんとうの意味で復興してくるタイミングだったかもしれない。世界的には、そのころやっと、「戦後は終わってきた」のかもしれない。

地球的規模のひとつの総力戦とその余波、半永久に続くかと思われる喪失や悲しみや憎しみやその連鎖、そういったものから人々が本当の意味で立ち上がって前を向けるためには、本来そのくらいの時間がかかるのかもしれない。

そしてそのころ日本は、「戦後」の終わりを終えつつあり、下降へ向かい始めた。それはアメリカも同じことだけれど、両者とも、本質的な手は打たなかった感じがする。アメリカは対テロ戦争に我を失っている間に、リーマン・ショックを浴びた。こう書いていると、北京オリンピックとリーマン・ショックが同じ年の一ヵ月ちがいであったことに、あらためて驚く。

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