現代新書
なぜ原爆投下による民間人大虐殺は罪に問われないのか?〜日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」
【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』2
極東国際軍事裁判(東京裁判)の被告席 〔photo〕Wikipediaより

真珠湾攻撃をやったから、原爆を落とされても文句は言えない? なぜ天皇は戦争責任を問われずにすんだの? 作家・赤坂真理さんが、東京裁判に関わった母親との会話から、日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」を明かします。

戦後論の新たな地平を切り拓いた赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』より、第1章「母と沈黙と私」を特別公開!(第2回) →第1回はこちら


謎解きの糸口

「ママはね、東京裁判の通訳をしたことがあるの」

2002年に99歳で死んだ祖母が、私の母親についてこんなことを言ったのは、たしか1997年だった。11月くらいの小春日和だったか、それとも本当に春の風の凪いだ日だったか。とにかく明るくて穏やかな日だった。

祖母にとって私の母とは、もちろん、娘だ。が、日本の家庭によくある、家族のいちばん小さき者の目線から見た呼称を、祖母もまた使った。人は老いると弱く小さくなる。だから娘をママと呼ぶのは、その頃にはなんとなく理にかなっているようにも思えることがあった。

ときどき「ママ」と呼ぶ祖母の声がすがるように響いたり、母が苛立って見えたりするとき、その関係は、母と祖母の間にあった「何か」を、逆転したり、かたちを変えて再現したりしているようにも、思えた。

そこには、どこにでもある親子の葛藤と、彼女たちにしかわからない個別の事情や断絶が、あったのだと思う。明治と昭和の間にある、生活や価値観の断絶は、私の想像など及ばないことだろう。当人同士にだって、話し合うのがむずかしかったかもしれない。

しかし。

祖母のその話が突拍子がなさすぎた。年齢的にも母ではその任は若すぎるはずだった。とっさに計算する。10代という答えしか出てこなかった。

「え?」

うろたえる私に対して、

「味方を裁くことだから、つらかったみたいよ」

と、なんともおっとり、祖母は言った。そして笑みを浮かべた。

早起きして練習するのはつらかったみたいよ、とでも言うように。

これは、謎の始まりではない。

私が長い間抱えてきた謎の感じの、ひとつの解だと、聞いたそのときどこかでわかっていた。そして、これによってわかることより、わからないということそのものを、より多く私は知るだろうと。