現代新書
日本にとってアメリカとは何か
〜戦後日本が抱えた無意識の屈折

【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』1
赤坂真理さん(撮影:小林紀晴)

「日本とは何か。お前は何者だと問い詰めてくる。驚愕し、恐怖して読み終わった。こんな本は初めてだ」(鈴木邦男氏)、「いまの時期にこそふさわしい、戦後社会と民主主義について深く検討する本」(高橋源一郎氏)、「自らの実感と経験に基づき、それでいて骨太な洞察にみちた、新たな戦後論」(宇野重規氏)……

昨年刊行されるや絶賛の嵐で迎えられた赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』より、第1章「母と沈黙と私」を特別公開!(全3回) 《日本一美しくて切ない8月15日論》です。


母と沈黙と私(1)

戦争の影

1964年生まれの私が物心ついたときは、戦争など終わっていて影もかたちもなかった。まあ、普通にそうだ。と、言ってみたい。

いや。影もかたちもなかった、というのは正しくない。

影やヒントくらい、本当はあった。

たとえば、小さな頃に新宿のガード下や上野の山にぽつぽつといた、傷痍軍人たち。腕のない人、脚のない人、包帯をした人、何割か混じっていたと、母が言う偽物。彼らは白装束で物乞いをしていた。いや、カーキの軍服だったか。たまにハーモニカを吹いていたり。なぜかと思うに口だけで演奏できる楽器だからだろう。

彼らは身一つしか持たぬにもかかわらずその身さえ欠けた、究極の持たざる者だった。もちろん、他意なく異形のものでもあった。だから私の中でそれは托鉢僧と見せものがいっしょくたになったような記憶になっている。

あるいは親戚の集まりで、潰れるほどに呑んでは泣いて軍歌を歌い出すおじさん。酔うと説教混じりで屯田兵の話を決まってする人。叔父の海軍兵学校の集まり。生徒として終戦を迎えた叔父たちに戦闘経験はなく、同期の欠けもなく、彼らは人一倍明るい人たちだったが、後年とりわけ愉快だった人が命を絶った。

ただ、私の中でそういうものたちが歴史とつながらなかった。

私は東京の、戦前の郊外と言われた町で育った。育った家は、同級生たちの家からすると前時代的なつくりで、玄関を入ると脇がすぐ応接間だった。文化住宅によくあったつくりだ。

そこに、よくわからない話をする親戚や知り合いたちはよく来たのだが、彼らは私たち子供とは隔離されていた。古いつくりが逆に、古いことと新しい世代を切り離すのに役立っていた。親たちも社会も学校も、「子供はそういうことを考えず」勉強していればいいという態度を暗に明にとっていた。

私にとっては、もともと薄く断片的なことが忘れられても、最初からないような気しかしない。

けれど、一度存在したものは、自動的にただ消えたりしない。

彼らは一体どこへ消えたのだろう? どこへと、消されたのだろう? そして彼らが体現した不条理は?

消された何か。それが巨大な負の質量として戻ってくるのは、他ならぬ自分の身の上に「つながらなさ」を抱えてしまい、そこからまたずいぶん経ってからのことだ。