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戦争の有名人 その子孫たちは「いま」【第1部】
東條英機 松岡洋右 廣田弘毅……
「戦犯の家族」と呼ばれてその名前を恨んだこともありました

週刊現代 プロフィール

父の場合も祖父と同様、家系を理由になかなか勤め口が見つからず、最終的にはかつて陸軍運輸部と関係のあった西武運輸に就職しました。就職で苦労したという話は叔父からも聞いています」

これほどの扱いを受ければ、その名を恨めしく思う日々もあったに違いない。英利氏は公立の中高、私立大学を出て通信販売の会社に就職、いたって普通のサラリーマン人生を歩んできた。だが、曾祖父の名が出てくるのを避けるため、高校の社会は日本史でなく世界史を選択するなど、自分の家系は意識してきた。

「サラリーマン時代には駐在員として香港に4年ほど滞在しました。海南島に行くと曾祖父がひざまずいている像があったり、歴代日本の首相の肖像があしらわれた茶碗で東條のところだけが消されたものが売られていたり、嫌な思いもしました。ですが、香港を去る前に親しくしていた友人たちに曾祖父のことを話すと、『それは関係ない、俺たちは友だちだ』と言ってくれた。そういう経験から自分の名前に正面から向き合えるようになり、日本のために自分ができることはないかと考えるようになりました」

責任はあるけれど……

会社を辞めた英利氏は、「神社人」という神社を中心とした日本の伝統文化を継承するための文化情報コミュニティ・サイトを立ち上げた。それが現在の国際教養振興協会の活動につながり、教育事業や国際交流事業も展開するようになった。

「もともと東條家では『(英機について)一切語るなかれ。何と揶揄されようと、忍の一文字で耐え忍ぶように』という家訓があり、家族内で英機のことを語ることもあまりありませんでした。私の叔母にあたる由布子が選挙に出て政治的な発言をするようになったときには、それを諌める父が電話越しに怒鳴っていることなどもあった。

私はできるだけオープンな立場で先入観を持たずにいたいと考えていますが、お声掛けをいただくことも多いので、あの大戦をふり返る活動もしています」

6月にはオーストラリアの公共放送に呼ばれて、トルーマンの孫やスターリンの曾孫、日本軍の捕虜だったオーストラリア兵の息子などが参加する討論番組に参加した。

「当然、曾祖父に敗戦の責任はあると思います。ただ、英機はごく普通の日本人の一人だったんだとも感じています。伝え聞く英機像は子煩悩で家族思い。少し気が弱いところもあったそうです。生前、官邸に呼ばれて総理を拝命した際に小便をちびりそうになったと語っていたようですから」

戦後の東京裁判でA級戦犯として絞首刑に処せられたのは、東條英機の他に6人。そのうち5人が軍人だが、ただ1人文官として処刑台に立ったのが、外交畑を長く歩み、1936年~'37年にかけて内閣総理大臣を務めた廣田弘毅だ。戦争回避のために尽力したが、結果として軍部の暴走を止められなかったということで死刑判決を受けた。弘毅の孫にあたる弘太郎氏(75歳)が語る。