【高校野球100周年記念】
消えた甲子園の怪物たち

「やまびこ打線」の主砲・江上光治 /史上初の完全試合・松本稔/田中将大の同期「メガネの主将」・本間篤史ほか
高校野球の聖地・甲子園〔photo〕Wikipediaより

高校野球の聖地・甲子園で光を放った男たちは運命のいたずらや自らの意思で輝かしい表舞台から静かに去った。彼らは今、どこで何をしているのか。早すぎる栄光を味わった8人の現在を追った。

この夏、息子が甲子園へ

かつて甲子園を沸かせた男は7月26日、西東京大会決勝が行われた神宮球場の一塁側席にいた。'83年の徳島・池田高校の主将にして「やまびこ打線」と言われた強力打線の主砲。江上光治は怪物ルーキー清宮幸太郎を擁する早実が、8回に5点差を逆転し、甲子園切符を得た劇的な試合を見て、声を上ずらせた。

「実は、長男・太悟郎が早実のマネジャーをしています。ぜひ、行ってほしいと思っていた甲子園出場を決めてくれた。

私が池田高で3季連続出場を決めたとき、その瞬間はすでに全国大会での戦いに気持ちがいき、感慨はそれほどなかった。当時の私と、今の息子では、置かれている立場が違うけど、素直にうれしい。もう、夢心地です」

江上は池田高2年の時から3番を打つ左打者だった。4番のエース畠山準、5番の左翼・水野雄仁は、のちにそれぞれ横浜、巨人で活躍。水野は、江上の同級生だった。

2年で初めて甲子園の土を踏んだ江上は'82年夏、準々決勝の早実戦で存在感を見せつける。相手のエースは荒木大輔。1年時から注目され、5季連続で甲子園に出場した。その初回、江上は膝元に沈むカーブを完璧にとらえ、右翼スタンドに運ぶ先制2ランを放つ。「あの一発で終わった、と感じた。あのボールで打ち取ってきたのに、本塁打された」と荒木がうなだれた一撃だった。

「高校に、レスリングで国体に出られるレベルのコーチがいて、その人の指導による練習が毎日あった。腕立て伏せをしてからダッシュをしたり、指を鍛えるために、ひもにつけたタイヤを巻き上げる練習なども、繰り返しました」

早実を14-2で粉砕すると、決勝でも名門・広島商相手に12-2と強力打線が爆発し、初優勝した。

足元をすくった油断

最上級生になると江上は主将に選ばれ、エース水野とともに翌春も連覇。当時、前人未到だった甲子園3連覇に挑んだ'83年夏、洗礼を浴びた。準決勝で、下馬評では格下だったPL学園に0-7と完敗したのだ。

「完全に油断があった。今考えてもPL学園は10回中、9回は勝てる相手でした。PLにいた桑田真澄、清原和博は当時1年生。水野は、4番・清原から4三振奪いましたが、ノーマークの桑田には先制2ランを浴び、勢いづかせてしまった」

大会後、江上を獲得したいプロのスカウトが池田高に訪れたが、蔦文也監督が断りを入れていた。