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【甲子園特別企画】
98年横浜高校の夏〈後篇〉
松坂の恩師が振り返る「奇跡のノーヒットノーラン」

(前篇より)

98年甲子園準々決勝、横浜高校×PL学園の「奇跡の一戦」。PLにリードを許していた横浜高校だが、松坂大輔も復調し、八回、ようやく5―5に追いつく。一挙に逆転か。そう思われたが、PL学園が底力を見せた。

横浜高校の小倉清一郎・元部長が、PL戦、大逆転劇の準決勝・明徳義塾戦、そして松坂がノーヒットノーランを達成した決勝戦を振り返る。

 松坂は心の底から激闘を楽しんでいた

九回、十回は無得点で終わったものの、十一回表、先頭の松坂がヒットで出て、続く小山が送りバント。すかさず柴のタイムリーを放ち、6―5。この試合で初めて、横浜がリードを奪った。この回のPLの攻撃を抑えれば勝てる。松坂にもまだ余力はあり、私はここで決められると感じていた。

しかし、延長十一回裏、先頭の平石がヒットで出塁。次の本橋は送りバント。一死二塁で、打席にはPL学園の4番・古畑和彦(3年)。私は「低めには投げさせるな」と小山に言っていた。古畑はアッパースイングで前日の佐賀学園戦で低めの変化球をすくい上げて本塁打を打っている。

「高めの直球で勝負しろ」

私の指示はこうだった。3球連続の空振り、三振に仕留めた。二死二塁となって、5番・大西。ここまで松坂は大西にカーブを2安打されている。カーブには強いというデータもあった。

前夜、私は小山と2人で30分ほど、1回戦のPL学園対八千代松蔭(東千葉)戦のビデオを見た。エースの多田野数人(日本ハム)が、松坂と似たタイプだからである。好投手の多田野を攻略したPL打線の封じ方を講じ、指示を出していた。2安打された時点で私は小山にこう言った。

「いいか、大西にはもう絶対にカーブは投げるなよ」

センバツの頃まで、よく小山にレクチャーした。私が「この打者はカーブが苦手」と言うと、松坂にカーブばかり投げさせてしまい、打たれることがあった。

「いいか。ピンチでない時は打たれてもいいんだ。データを使うのはここぞという肝心な時。ピンチの時に苦手なカーブでいかに打ち取るか。そのためにデータはあるんだぞ」

そして、こう付け加えた。

「一人は1試合で4打席。1、2打席目は好きなところに投げて種をまけ」

理由はこうだ。弱点ばかりを狙うと打者だって気付く。逆にそこを狙い始めるだろう。その打者が内角の直球が好きなら、ボール1個外したボール球を投げるのだ。好きなところだから打者は食いつく。ボール球なら打ち損じる可能性が高い。

それなのに……。ここは紛れもなく、勝負どころ。初球、「投げるな」と言っていたカーブのサインをまた出した。大西に適時打を浴びて6―6となった。その前の4番打者に集中していた小山は、何と無意識のうちにサインを出してしまったという。

「あとアウトひとつのところで、このヤロー!」

私はベンチに帰ってきた小山のところへ近寄った。すると、松坂が私を制し、小山に言った。

「お前、部長にカーブ投げるなって言われなかったっけ?」

私がカッカしているのを松坂が察知し、怒鳴る前に冗談交じりに言ってその場を収めたのだ。こんな激闘の最中でも、松坂はどこかPL学園との勝負が続くことを楽しんでいるところがあった。