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【戦後70年特別企画】
いまも仲間たちの「最期の姿」が忘れられない……
98歳の元ゼロ戦パイロット「命の授業」が泣ける

戦時中の飛行時間は、約8000時間を記録した〔PHOTO〕gettyimages

安倍晋三内閣が提出した安全保障関連法案が、衆議院特別委員会で強行採決された日。70回目の終戦記念日を前に、最高齢の「元ゼロ戦パイロット」が、言葉を振り絞って「命の大切さ」を説いた。

ゼロ戦との出会い

真珠湾攻撃からゼロ戦に乗り、数々の戦場を経験した98歳の原田要氏。戦時中の負傷の後遺症もあり、歩くには杖が必要だが、往時について語り出すと目に力が戻る。戦後は地元・長野市で幼稚園を経営し余生を過ごしていたが、あることを契機に自身の体験を語り継ぐ必要を感じ、講演会などで全国を駆け回る「語り部」となった。

私たちは、子供の頃、戦場で兵隊が死ぬ時には「大日本帝国バンザイ」、「天皇陛下バンザイ」と言うと教わりました。しかし、実際の戦場でそんな人はいなかった。最期はみんな「おっかさん」、そう叫ぶのです。戦争で母親の存在ぐらい大きいものはないのです。

私が戦争体験を語り始めたのは、湾岸戦争がきっかけでした。テレビでミサイルが撃ち込まれるのを見た若い人たちが「花火のようでキレイ」と言っていた。ミサイルが落ちるところには一番弱い人々がいて犠牲になっている。そのことに思いが至らなくなっていると感じたのです。

昭和12(1937)年に海軍の第35期操縦練習生を首席で卒業後、支那事変で出撃したのが最初です。その4年後、昭和16(1941)年の9月に航空母艦「蒼龍」への乗艦を命じられ、大分県の佐伯航空隊で初めて30機ほどズラッと並んだゼロ戦と出会いました。

大きく、風格を持った機体で、早速、飛んでみたら実に素晴らしい。これに乗れるのは男冥利に尽きる、ゼロ戦の誕生で日本はどこの国と戦っても負けないんだ、という実感を持ちました。