昭和49年10月に発売された『文藝春秋』11月号に掲載された二つの論文は大きな話題を呼んだ。一つは立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」、もう一つは児玉隆也の「淋しき越山会の女王」。田中角栄のカネと女性関係を暴く内容のものだった。
この2年前、47年7月に内閣総理大臣に就任した角栄は国民の熱狂的な歓迎を受けた。「日本列島改造」と「日中国交回復」を掲げた田中内閣は佐藤栄作の長期政権の閉塞を打開してくれるだろうという国民の大きな期待を受け、支持率62パーセントという記録的な数字を獲得した。
ところが、地方に公共投資を振りまく列島改造計画はインフレを引き起し、折からの石油ショックもあって、物価は異常なまでに高騰。角栄の構想は大きく挫折することとなる。
人気はまたたくまに下落、支持率は20パーセント台まで落ち込み、49年7月の参議院議員選挙で自民党が後退と、発足2年で政権は苦境に陥っていた。