不正・事件・犯罪 裏社会
6代目襲名から10年 
元直参組長が初めて明かした
山口組「クーデター」の真実

 山口組の謎が明らかに

圧巻は、6代目山口組に対する「謀反の会合」を回想するシーンだ。一心会の川崎昌彦会長(当時)が次の一言を放つ。

「やるんやったら、黙っとらんと、俺のまえに道具とカネを積まんかい」

即座に、太田会の太田守正会長(同)がこう反応した。

「川崎の兄弟がやると言うのなら、わしもやるで!」

暴力団社会では謎とされ、暴力団の世界を追う実話系雑誌にも真相が明らかにされていない2008年の「6代目山口組造反劇」の経緯が、初めて綴られた。6代目山口組執行部に対する造反は、計画が整わないまま未遂に終わり、太田や川崎らの除籍処分につながっている。

構成員と準構成員を合わせて約1000名を擁し、広域暴力団山口組のなかでも最大級の勢力を誇っていた「太田会」。このたび、サイゾーより太田守正執筆の注目の書が発売された。タイトルは、「これはわしからの血の証言であり、別れの書である」(帯のキャッチコピー)という意味で『血別』

太田は典型的な武闘派である。「決して退くな」「やられたらやり返せ」をモットーに、山口組直系組織となる前の山口組系山健組内太田興業の時代から東京に進出、稲川会や住吉会など関東の広域暴力団と激しい抗争を繰り返しながら山口組の橋頭堡を築いた。

太田は08年の除籍処分を受けて引退するが、山口組への“思い”は断ち切れず、なかでも同じ山健組出身の元直参組長・盛力健児が著した『鎮魂』への反発が強かった。