謎が謎を呼ぶ山岳ミステリー
厳冬のヒマラヤで雪崩に呑まれた兄は殺されたのか

【書評】下村敦史『生還者』/評者 西上心太
〔photo〕Getty Images

9年連続応募(最終選考に残ること5回)という苦節の後、昨年第60回江戸川乱歩賞を受賞したのが本書の作者下村敦史である。

失明した老人を語り手にすえる高難度に挑んだ受賞作『闇に香る嘘』は高い評価を受けた。それからさして間を置かず、通訳捜査官が主人公の警察小説『叛徒』、続いて本書という具合に、デビューから1年足らずの間に長編3作を上梓するとは頼もしい限り。しかも3作品とも内容が濃いだけではなく、すべて傾向が違う作品なのだから驚くではないか。

世界第三の高峰カンチェンジュンガで大規模な雪崩が起き、日本人登山パーティらが遭難した。犠牲者の中に増田直志の兄・謙一がいた。

4年前に登山を止めたはずの兄が、なぜ危険極まりない冬山に挑んだのか。さらに遺品を調べた直志は、兄のザイルが人為的に傷つけられていたことを発見し、兄の死は遭難ではなく、殺されたのではないかという疑問を抱きはじめる。

やがて2人の遭難者が救助された。単独で登攀に挑んでいた高瀬正輝と、謙一と同じパーティに属する東恭一郎だった。だが雪崩に至るまでの状況について、二人はまったく逆の証言をする。兄の死の真相解明と名誉回復のため、直志は週刊誌記者の八木澤恵利奈とともに、厳冬の高峰に隠された秘密を追っていく。

ザイルで互いをつなぎ合うことをアンザイレンと呼ぶ。危険を回避するための技法だが、それは互いを信頼し命を預け合うことにほかならない。命をつなぎ合う、そのザイルをめぐって物語が動きだしていく。登山ミステリーである本書を象徴するにふさわしい謎といえるだろう。

謙一の登山再開とザイルの謎に続き、相反する二人の生還者の証言、謙一の手帳に残されたメモ、過去の事件がからんだ人間関係など〝なぜ〟や〝なにが〟という疑問が次々と浮かび上がり謎が謎を呼んでいく。

複雑なプロットに加え、キャラクターの練り込みが十分な点にも注目したい。兄の背中を追いながら仲違いしたままになってしまった直志の後悔の念が、彼の行動を支えていく。

さらに山を愛するがゆえに山で人と繋がることを拒む恵利奈の心情の変化も、クライマックスの登山シーンに密接に関わってくるのだ。そして輻輳する謎が見事に解明されるのと同時に、山に対する誠実で真摯な思いも浮かび上がる。

数ある山岳ミステリーの秀作の中でも記憶に残る一冊となった。

にしがみ・しんた/'57年生まれ。ミステリーを中心に評論を行う。日本推理作家協会理事。共著に『ミステリ・ベスト201』他

生還者
著者:下村敦史 講談社:1600円
しもむら・あつし/'81年生まれ。'14年、9度目の応募となる『闇に香る嘘』で江戸川乱歩賞を受賞。『叛徒』他

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「週刊現代」2015年8月8日号より


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