1300年に2人だけ!千日回峰行を満行した塩沼亮潤大阿闍梨が得た学びとは?
塩沼亮潤さんインタビュー【第1回】
慎泰俊さんと塩沼亮潤さん

慎泰俊さんがプロフェッショナルたちの仕事の流儀に迫る本連載、今回は慈眼寺住職の塩沼亮潤大阿闍梨の登場です。塩沼亮潤大阿闍梨は、1999年、奈良県吉野の大峰山で、往復48キロ、高低差1300m以上の山道を1日16時間かけて、1000日間歩き続ける修行「大峰千日回峰行」を成し遂げました。大峰山1300年の歴史で達成したのはたったの2人。修行期間は年間4ヵ月間、足掛け9年に及びます。さらにその翌年、9日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずという「四無行」も行い、大阿闍梨の称号を得ました。現在は、大阿闍梨として全国各地、世界中を飛び回って教えを説きながら、仙台に開山した慈眼寺の住職を務めています。第1回は、大峰千日回峰行の歴史、塩沼さんの修行体験、そして僧侶の仕事について――。(写真・齊藤優作/構成・徳瑠里香)

大峰千日回峰行、1300年の歴史

慎泰俊(以下、慎): 私は塩沼さんの『人生生涯 小僧のこころ』を50回以上読んでいます。

塩沼亮潤(以下、塩沼): 慎さん、それは私よりお詳しいですね(笑)。ありがとうございます。

慎: まず、修行についてのお話をお聞きしたいのですが、山に籠って厳しい修行をすることで、悟りを得ることを目的とした「修験道」が始まったのが約1300年前。その歴史についてお伺いしたいのですが、そもそもなぜ山を歩くようになったのでしょうか?

塩沼: インドから伝わったとされるもともとの仏教には山を歩くという行はなかったようですが、時を経て日本に伝わってくるまでに、いろいろな考え方や行が仏教にも取り入れられて発展してきたのだと思うのです。日本はもともと神道の国です。そこに538年に仏教が伝来し、ともに排他性・独善性がないために融合しました。日本は古来より山や自然を大切にする民族性がありましたので、仏教の修行が山において行じられるようになったと思うのです。

その代表的なものが「修験道」であります。その発祥が今から約1300年前、役行者によって創立された奈良県吉野山にある金峯山寺というお寺なんですね。吉野山に金峯山寺蔵王堂を建て、そこから24kmの山奥にある大峰山と呼ばれる山上ヶ岳(1790m)の山頂にある本堂に参る「山上まいり」が始まりました。

ただ「回峰行」は奈良の大峰の発祥ではないんです。比叡山・最澄の弟子の相応和尚(そうおうかしょう)という僧がお堂や仏さまに花をお供えしながら山々をめぐった発祥と言われています。ちなみに、和尚と書いて「かしょう」と読むのですが、和尚(おしょう)が亡くなると、和尚(かしょう)と呼ばれるんですね。そこから回峰行が行われるようになり、現在に至っております。

慎: 塩沼さんがなされた大峰千日回峰行は、1300年の歴史においても2人しかいないというのは、なぜなのでしょうか?

塩沼: 大峰千日回峰行は、私が1991年に満行した以前、1984年に柳沢真吾住職が達成しています。1300年の歴史のなかでなぜ昭和の時代まで回峰行者がいなかったかというと、明治時代になるまで現在のルートがなかったんですね。大峰山に至るまでの古道はアップダウンが激しすぎて、毎日往復するのは不可能だったんです。

しかし、新しいルートができて1日16時間かけて往復することが可能になりました。