【日航機墜落事故】3人の娘を失った老夫妻の告白「あの娘たちは私の心で生きている」
西村匡史著『悲しみを抱きしめて』第1章より(前編)
1985年8月12日に群馬県・御巣鷹で発生した日航機墜落事故 〔PHOTO〕gettyimages

あの悲劇の大事故から今年で30年――。御巣鷹で大事な人を失った遺族たちは、それぞれに強い思いを胸に秘めながら懸命にその後の人生を歩んできた。そしてそんな遺族を陰で支えた人々がいた。深い悲しみの果てに遺族たちがつかんだ一筋の希望とは。涙と感動の秘話。

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第1章  もう一度、会いたい

日本中に衝撃を与えたあの大事故から今年で30年。
どれほど月日が経とうと、最愛の家族を突然奪われた人々の悲しみが癒えることはない。
あの事故で3人の愛娘を一度に失った夫妻がいた――。

「熱かったね。ごめんね」

手にもった杖を支えに一歩、また一歩と山道を進む老夫婦がいた。

朝から時おり大粒の雨が降りつける、あいにくの天気だったが、夫は帽子の下から険しい表情を覗かせながらも、「よいしょ」というかけ声とともに重い足を上げ、ぬかるんだ道を前へ進む。

少し遅れて夫の後を追う妻は息を切らせつつ、杖をもった右手と膝の上に置いた左手でなんとかバランスを保っていた。足がもたつくたび、「もう嫌やわ」と愚痴をこぼしながら立ち止まり、大きく深呼吸してから再び歩を重ねる。

水色と赤色のお揃いのかわいいリュックサックを背負った2人。妻のリュックの左肩部分には色とりどりの百合や菊が束ねられた花束がぶら下がっていた。

2003年8月12日、日航機墜落事故の墜落現場である、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根では、1985年の事故発生時から18年目の命日に合わせて多くの遺族が慰霊登山を行っていた。

その中に、事故で3人の娘を一度に失った田淵親吾さん・輝子さん夫妻の姿があった。登山口から現場の尾根まで約2・2キロメートル(当時)にわたる登山道の途中には勾配のきつい道もある。

「もうあかんわ」

69歳(当時)の輝子さんが弱音を吐きながら足を止める。

すると74歳(同)の親吾さんは立ち止まって振り返った。

「何を言っとるんや。ほら、もう一息だ。頑張らんか。こうやってもっと手を振らんか」

実際に手を振るしぐさを見せて励ます。急な坂道では左手で杖をつき、右手で輝子さんの手を強く握って引っ張り上げた。乱れた帽子の位置や襟元を直してあげるなど、終始輝子さんを気遣っている。

道の途中にある水汲み場で2リットルのペットボトルに水を満タンに注いだあと、親吾さんが3本、輝子さんが2本、それぞれ杖にぶら下げて肩に担いだ。高齢の2人には、ただでさえ厳しい山道なのに、水を担ぎ始めてからは明らかに歩くスピードが落ちている。親吾さんの肩にはボトル3本分の重さがずしりとのしかかり、輝子さんは時おりよろけながらも手すりを頼りになんとか踏みとどまっていた。

重い水を抱えながら、ただひたすら現場の尾根を目指す夫妻の姿が私の胸に強い印象を残した。

登山口を出発してから約2時間後の10時20分。

「来たぞー、来たぞーっ」

親吾さんは娘たちに声をかけるように墓標に近づき「ふーっ」と大きく深呼吸したあと、立ち止まって顔を上げた。墓標の前の3段ある階段を「よいしょ」と一気にかけあがる。ペットボトルを杖から下ろし、リュックサックと軍手を外して手を合わせた。