雑誌
【特別インタビュー】
「私は中国で修羅場を見た」
前中国大使・丹羽宇一郎(伊藤忠前会長)

外交もビジネスも、ピンチはチャンスに変えられる

膨大な不良債権の処理と巨額の新規投資で、伊藤忠商事をV字回復に導いたビジネスマン。中国大使として、日中両国の緊張に挟まれた外交官。二つの顔を持つ丹羽氏が、危機を生き抜く哲学を語る。

「売国奴」と罵られて

私が中国大使に就任したのは、'10年6月のことでした。その3ヵ月後に、尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事故が起き、日中間の緊張関係に巻き込まれることになったのです。

大使就任の打診を受けた時から、すでに日中関係はギクシャクした状態にありました。いろんな考え方の人がいますから、中国に大使として出向くことで、何らかの批判を受けることは覚悟しなくてはなりません。

しかし、私が断っても、誰かがやらないといけない。幸い私にはビジネスを通じて、中国に人脈もあります。最終的に引き受けたのは、急成長する中国14億人の大市場に日本が参入できるよう、少しでも国のために尽くしたいと考えたからでした。

ところが'12年には石原慎太郎東京都知事(当時)が東京都による尖閣諸島の購入計画をわざわざ米国で発表したことにより、両国の軋轢は一気に加速。まさに一触即発の状態となりました。尖閣購入計画に対して「計画が実行されれば日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」と、私が英紙のインタビューで答えたことが、日本で大騒ぎになったのはその矢先でした。「媚中派」「売国奴」とものすごいバッシングを受けました。

たしかに私は「深刻な危機をもたらす」とは言いましたが、「領土を中国に譲れ」とは一言も口にしていません。人は自分の土地を1坪だって他人にあげようとはしません。国土も同じことです。領土については「1ミリたりとも譲歩しない」との主張を中国政府にも繰り返していました。

私が言ったのは、日中両国の平和友好関係を構築した、'72年の日中共同声明の精神に立ち戻るべきだということです。その当時、年間1万人だった日本と中国の人的交流は、私が大使を務めた頃は540万人になっていました。これがアジアの繁栄と世界の平和につながった。そんな先人の積み重ねを踏みにじることなど、誰にもできません。話し合いで解決を探るべきだったのです。

私の発言に批判の矢が飛んでくることは想定しましたが、政府が間違った方向に向かっているとすれば、それに対しては疑義を呈するのは当然でしょう。まして自分の年齢(当時73歳)を考えれば、先は長くない。だったら辞職を覚悟してでも反対の意を伝えるべきだ。そう思ったのです。

私心を捨て、公益を優先する視点は、伊藤忠時代に培ったものだと思います。大企業の社長になると、グループ全体を考えなければいけません。関係先企業まで考えれば、影響は数十万人にも及ぶ。そんな組織のトップに、個人という発想は入る余地などないのです。

安倍晋三総理は「これは個人の見解だ」という言い方をされますが、一国の宰相たるもの、そんなことはあり得ません。「戦後70年談話」についても、閣議決定を経ずに「個人的な見解」にするようですが、総理が発表すれば、それはどう言い繕っても国を代表する総理の見解と世界から見られます。詭弁を使わず、一国のトップとしての考えを堂々と発言すべきではないでしょうか。

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