【稀代の政治家 田中角栄(2)】
神楽坂の妾宅用に350坪の土地を購入、広い庭付の豪邸を建て毎月100万円を送った

妻はな、長女眞紀子と 再婚だったはなは、角栄より8歳年上。姉さん女房として角栄を陰で支え続けた

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角栄と神楽坂の深い関わり

東京都新宿区にある神楽坂通りは、午前中は下り、午後は上りの一方通行となる。

日本で唯一と思われる「逆転式一方通行」の規制が神楽坂通りに導入されたのは昭和33年だが、それには田中角栄が関わっているといわれている。角栄が朝、目白の自宅から国会議事堂に向かい、夜、帰宅するのに便利になるよう、この方式ができたというのだ。

正式な記録は残っておらず、都市伝説の一つに過ぎないのだが、あの角栄ならと、思わず信じてしまう話である。

実際、角栄と神楽坂の関わりは深い。


昭和16年、角栄は麹町区飯田町二丁目に建築事務所を開いた。現在のJR飯田橋駅の東口を出たあたりだ。西口を出れば、すぐ神楽坂である。翌年、家主の坂本木平の娘はなと結婚した角栄は、新居を神楽坂からほど近い高台の牛込南町に構えた。

神楽坂は待合、芸妓置屋、料亭の街である。22年新潟三区から出馬して衆議院議員に初当選した角栄の政治活動は、ここ神楽坂をホームグラウンドに展開されていく。