新安保法制であの名曲が存亡の危機に!?
「戦争を知らない子供たち」に込められた若者の願い

~元ジローズ・杉田二郎インタビュー~

「戦争を知らない子供たち」が歌い難くなる?

1971年に男性デュオのジローズが歌った大ヒット曲『戦争を知らない子供たち』(作詞・北山修、作曲・杉田二郎)は、時代を超えて歌い継がれてゆく名曲だと思っていた。今でも学生たちがギターを奏でながら歌う光景が見受けられるし、YouTubeにはアマチュアミュージシャンたちが歌う映像がアップされている。

♪戦争が終わって 僕等は生まれた 戦争を知らずに 僕等は育った おとなになって 歩き始める 平和の歌を くちずさみながら―――

だが、この名曲は今、岐路に立たされているような気がする。国会で審議中の新安保法制が可決し、集団的自衛権が一部容認されるようになれば、自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが拡大すると見られているためだ。たとえ日本が戦火に包まれることは避けられようが、同胞の自衛隊員を海外で戦死させしまうようになると、「戦争を知らない」とは歌い難くなるのではないか。

そんなことにも興味があったので、今回は元ジローズでシンガーソングライターの杉田二郎氏(68)に話を聞く。杉田氏は60年代から70年にかけて、深夜放送『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)や『チャチャヤング』(MBSラジオ)などでDJとしても活躍。美声の実力派アーティストとして、テレビの数々の音楽番組に長年にわたって出演し続けてきた。世相や若者文化、音楽シーンを見つめてきた杉田氏の言葉に耳を傾けたい。

戦後の経済成長の中で生まれた1曲

まず、この名曲はどういう経緯で生まれたのだろう?

杉田二郎氏

「僕は昭和21年の生まれですから、戦争の経験はありません。作詞した北山修君(注・現在の表記は、きたやまおさむ。ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバー、九州大学名誉教授)も同じ年の生まれ。2人とも戦後の第1期生です。でも、今とは違って、両親や親戚、あるいは近所の人たちから生々しい戦争体験を日ごろから聞かされていました」

当時は終戦直後。幼い杉田氏は周囲から「お世話になった人が戦死してしまった」といった話を日常的に聞かされていた。また、戦争で大怪我を負った人たちの姿も目の当たりにした。

「僕は京都の生まれだったので、子供のころは円山公園によく行ったのですが、そこには傷痍軍人の方々がいました。戦争で腕や足を失った人たちで、白衣を着て、義手や義足を付けて、アコーディオンなどを弾き、『よかったら援助を』と道行く人にカンパを訴えていました。その姿が脳裏に焼き付いています」

戦争の傷跡がいたるところに残っていた。一方で、日本は奇跡的な復興を急ピッチで遂げてゆく。

「貧しかった国が、中学から高校へと進むうち、めざましく発展していった。だんだんと国が元気になっていくのを体感しましたね」

杉田氏の高校時代は50年代後半から60年代前半。経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのは56年だから、日本がどん底から抜け出した後のことだ。高校生が趣味を持つ余裕も生まれていた。そんな時代に杉田氏はベンチャーズやビートルズなどの洋楽と出会う。

「彼らに憧れました。僕も歌いたいと思うようになって、音楽を始めたのです」