田舎での豊かな暮らしは現実じゃない?
ジャングルを経験した男が都会を選んだ理由

2015.8.4 THU

言葉や立ち振る舞いで人を惹きつけ、行動で人を巻き込んでいくことのできる個人は一つの“メディア”になりうるのではないか。そんな思いを持って、ソーヤー海さんに会いに行った。

ソーヤー海さんは、3.11直後「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」を立ち上げ、 "誰もが大事にされる社会"をつくっていくために活動する共生革命家。「自称・活動オタク」だという海さんは、アメリカの大学、コスタリカのジャングル、中南米の農村、禅の寺院・・・など地球を舞台に、自然と人が共生するための知恵・知識を学び、自ら考え実践を重ねてきた。そしていま、より愛と平和のある社会を本気で目指して、自らの生活のなかで「パーマカルチャー」を実践し、ワークショップなどを通じて人々に伝え続けている。

話を聞くと海さんは、「昔からある”生きる知恵”を通訳して現代の人に伝えている、自分自身がメディア」だという。

震災に原発事故、強行採決された安全保障法制など、人々の安全が脅かされ、暮らしや社会の在り方が見直されつつあるいま、海さんのメッセージや生き方に耳を傾けたい。海さんは世界で何を学び、どんな体験をし、いま何を伝えたいのか。「メディア化する個人」ともいえる海さんの半生を振り返りながら、これからの社会、そして海さんにとってのメディアについて語ってもらった。(文・徳瑠里香/写真・岡村隆広)

9.11の衝撃、生きることに興味が湧いた。
だってそれしかなくない?

東京アーバンパーマカルチャー」を立ち上げるまでの経緯? 話が長くなるよ。いいの? いいのね。

僕は東京都三鷹で生まれて、子ども時代は新潟の南魚沼に7年。田んぼしかないところね。小学校はホノルルのゲットーに4年半、中学高校は大阪で育った。お母さんが日本人でお父さんがアメリカ人。ハーフの僕には当時、アイデンティティの居場所がなかったわけ。だから「ダイハード」とか「G.Iジョー」とか見て、軍隊の仲間意識に憧れを抱いていた。本屋で選ぶのも「世界の軍事最新情報」みたいな本でさ、軍隊好きな子だったんだよ。

軍隊に入ろうと思ってアメリカの大学を受験して、昔ヒッピーだったお父さんにすすめられたカルフォルニア州サンタクルーズ大学に入ることになった。2001年9月にアメリカに移住したんだけど、入学する直前に9.11が起きた。

それまでは軍隊は好きでも、世界は平和だと思っていたし、戦争が起きていることを現実として捉えてなかったんだよね。アメリカ中が震撼し、変わっていく姿を目の当たりにして、なにがなんだかわからないけど、歴史的にやばいことが起きているということは感じたし、戦争に行くことは考える余地もなく反対だった。これは日本の教育の影響かもね。

社会運動家が多い学校だったから、大学全体が反戦モードで、平和のためのワークショップや授業、デモにも参加したよ。軍隊に入りたいと思ってたんだけど、軍隊の勧誘を大学から追い出す立場になってたよね。形は違うけど、結局居場所がほしかったわけだから、仲間と一緒に声を出して、平和を訴えていく反戦運動がとにかく新鮮だったわけ。教員とか学生とかいう立場を超えて、みんなリスクをとって自分の意思で行動していた。それを見て、かっこいいって。LGBTや中南米の移民、社会主義者やアナーキスト、いろんな立場や価値観の人たちとも出会って、今まで小さな檻の中にいたんだ、本当の世界が見えた、と思ったよ。

生きることに興味が湧いた。生きるとは?ということを追求したいって。だって、それしかなくない?

有機農業に目覚め、
サステナビリティを学ぶ

そこから大学構内で有機農業を始めた。自分たちで植えた人参をその場で抜いて食べて、美味しい!って。いのちとつながっている感じ。小さいけど深い喜びがあって、シンプルに楽しいの。だって、食べ物をお金で買うんじゃなくて、そこにある新鮮な野菜が食べ放題なんだよ。自然の恵みと直結した瞬間だったね。

ちょうどその頃、反戦運動にも限界を感じていたんだよね。仲間の方向性も少しずつ分かれていって、僕ら学生の団体はそれなりにインパクトがあったらから、政府からも監視されてて、身の危険を感じることもあった。みんなピリピリしているなかで「このなかにCIAがいるんじゃないか」という一言で信頼関係が崩れてしまったりしてね。お互いを信頼できなくなったら社会運動はできないよね。

それで、学生が創作した「持続可能な教育プログラム」に参加して、サステナビリティを学んだ。蜂やキノコの生態系やネイティブアメリカンのことを勉強したり、ピザ釜つくったり、大学を100%自然エネルギー化したり。そこでは、みんなやりたいことをやってたよ。反戦運動より平和的で心地いいし、生産的。僕も教える立場にもなったし、運営にも携わっていた。知識だけじゃなくて、みんなで実践して形にして、とにかくクリエティブだった。

持続可能ってよくいわれるけど、現状を維持することじゃなくて、進化すること。進化するのは僕たちの意識と愛ね。環境を大事にして、人を大事にする。今の社会のゴールは利益とか現状維持で、"みんなが大事にされる社会"をプライオリティーにしていないよね。イノベーションって唱えながら根本的には現状維持をしているから、問題が山積みなわけじゃん。僕もそのことに気づいてなくて、9.11をきっかけに一気に目が開いた感じ。

忙しすぎる文化から抜け出して、
マインドフルネスの寺院へ

非核運動もしたし、本当にたくさんの活動をしたんだけど、だんだん疲れてきちゃったんだよね。朝から晩までMTGやメール返信や調べものに追われてさ、大自然のなかにある学校なのにずっと教室の中かPCの前。これをやらないと!っていうエネルギーで仕事をこなして、自分がいかに忙しいかアピールする毎日。サラリーマンみたいな生活で、身体もひょろひょろ。ゾンビ化した。「忙しいね」っていうのは「距離を感じる」といわれているのと同じでしょ。大事な人も大事にできない生活は持続可能じゃないよね? この文化圏から抜け出さないとおかしくなっちゃいそうだった。

それで、カリフォルニアのサンディアゴにあるDeerPark僧院に行って、平和活動家の禅僧ティク・ナット・ハン師のもとで瞑想を学んだんだ。彼はベトナム戦争中に行動仏教を唱えて、キング牧師にノーベル平和賞に推薦されたすごい先生で、グーグルでもマインドフルネス(禅)を教えた人だよ。僕は2ヵ月間寺院で生活していたんだけど、日本の禅の世界とは違って、卓球もするし、お笑いもピクニックもするし、楽しい感じ。座禅だけではなく、日常すべてが瞑想なの。マインドフルネスは、今の心とつながっている状態、今自分のまわりで何が起きているのか、どれだけ今と自分がつながっているかを意識することなんだ。

コスタリカのジャングル生活で、
人間に立ち戻った

大学4年間と卒業してからの2年くらい平和活動に身を投じてきたわけだけど、寺院から戻ってきて、やっぱり持続可能じゃない、今の自分のやり方を見直そう!と思い立って、コスタリカのジャングルに移住したんだよね。友達のお父さんがガーデンマネジメントをできる人を探しているってことで。初めはオーナーさんの家で生活してたんだけど、2ヵ月後くらいジャングルに移動して、電気も水道もないただの小屋で生活したんだよ。

そこではさ、朝5時になると猿が吠え、犬や鶏が鳴き、群れになってクレッシェンドに盛り上がってくる。森が起き始めて明るくなるから僕らも目覚めるわけ。箱にガラスを2枚置いて太陽に向けて熱をためたソーラーオーブンに、瓶に詰めた豆と水、お米を入れておく。

畑でひと作業して、帰ってくると炊きあがってるからランチを食べるのね。昼寝をしたり、バナナを猿と取り合ったり、米やとうもろこしを狙う牛とにらみあったり。友達がイグアナと格闘して、丸焼きにして食べてたこともあったなあ。夕方には薪を集めて乾かして火を起こして、ごはんを作って、食べて、寝る。基本的に食べ物を獲得するために働くだけだから、収穫しているか、食べているか、寝ているかの生活だね。超楽しいよ。

この生活を6ヵ月ほど続けたんだけど、自分が生態系の一部でしかないことを強く実感したよ。なんていうか、人間に立ち戻った。

だってそこにはジャガーもいて、牛もいて猿もいて、言葉は通じないけど、なんとなくみんなで調和をとっているんだよね。たとえば、夜寝てるときに、小屋に軍隊アリの群れがやってきて、タランチュラやサソリが逃げてきて、そうなると家を出るしかないんだけど、2,3時間して戻ってくると虫とかも食べてくれるから家が綺麗になってるわけ。その家も誰のものでもなくて、軍隊アリは軍隊ありの流れがあるから、そのときは譲ればいい。そういう世界なんだよね。都会みたいに人間が中心じゃない。

日本では水道をひねったら水が出てくるけど、そこでは遠く離れた井戸から水を運ばなくちゃいけないから、同じ水を3回使う。トルティーヤーを作るためのトウモロコシを茹でて、お皿を洗って、植物にあげる。日本はその水がどこからきてどこへ流れていくのか、関係性が見えないから無駄遣いした水のほうが多いよね。トイレも流したら終わり。貴重な水のなかにうんちをする。贅沢だよね。ジャングルのトイレは地面に穴を掘ってうんちをする移動式だよ。そこに果樹を植えるとうんちが肥料になってパーンって大きな美味しい実がなる。ちゃんと循環しているんだよね。

地球のみんなを生かしあう、
パーマカルチャーとの本格的な出会い

ビザの申請のついでに、キューバやニカラグア、グアテマラとかを旅して、お百姓さんとか革命家に会って生き方を学んだりもした。彼らは既存の社会や経済の枠組みのなかにはいないんだよ。本当に生きるために必要なことだけをやって生きてる。

お百姓さんは忙しいけど、夕日を見る時間や家族と過ごす時間を大事にしてる。とうもろこしを収穫できなければ生活が厳しい、となってもお金で解決することはなく、友達とか近所の人とか、関係性のなかで解決するんだ。自分たちの手で生活を営んでて、すごい豊かなの。ただの旅人でしかない僕に、彼らは鶏を絞めてくれたんだよ。すごい高価な貴重なものなのに。僕はベジタリアンだったけど喜んで食べたよね。寛容な「ギフト」だって本当に嬉しかった。

そんななか、コスタリカの農場で、パーマカルチャーの創始者のひとりが書いた1冊の分厚い本と出会った。まるで「地球のHow to本」ともいえる、自分がやっていることを裏付けるかのような考え方や手法が書いてあることに興奮して隅々まで読んだよ。うちらの支えになっている水も食糧も酸素も、全部地球の恵みなんだってはじめて理解した。これまで実践してきたことが、知識と重なって、すーっと落ちてきて、もう感動。

パーマカルチャーを深く学び、
パラダイスを経験したそのときに

パーマカルチャーに感動して、もっと学びたい!とジャングルを離れ、ニカラグアの活火山にあるパーマカルチャーセンターで学んで、ワシントン州のオーカス島にあるブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドの3週間の集中講義を受けた後、教育プログラムの研修生になったんだよね。

コスタリカで深く出会って、ニカラグアで豊富な世界を見たんだ。でもニカラグアは、人間関係がドロドロしていて、いくら食料が豊かでも天国の中の地獄だなって思っちゃったんだよ。やっぱりどこにいても人間関係は難しい。

オーカス島は、人間関係も最高で、常に与え合いで、すんごい自由。学びたいことが学べるし。森の中で、デッキの上にビニールシートを張った自家製テントのなかに寝袋を敷いて生活していた。めちゃくちゃ寒い時もあるけど、たくさん着込んで湯たんぽ抱えたら慣れていく。朝起きて最初に目に入るのが壁ではなく大自然。鳥が「部屋」をよこぎったりも!

僕が2年間生活したオーカス島のパーマカルチャー農園での生活の様子。みんなでピザを作ってる。

フォレスト・ガーデン(食べ物の森)にはりんごだけでも40種類くらいあって、何十種類の果実、ベリーや薬草を、毎日食べ放題でずっと下痢状態(笑)。だって美味しいんだもん、食べちゃうよね。仕事、学び、遊びという枠のない、余裕が豊富で自由な生活をおくっていた。なんていうか、最高すぎて「こんな生き方してていいのかな」って不安になることもあるくらいパラダイスだったなー。

オーカス島ではこんな感じで、木に登ってフルーツ取り放題!

探し求めていたものを手に入れたような感覚だった。でも、僕もずっと研修生でいるわけにはいかないし、パーマカルチャーを伝える活動をしなきゃ、と思っていたんだよね。この最高に豊かな生活をみんなに知ってほしいって情熱的に感じていた。あまりに心地よくて2年くらいそこにいたからね。それで、日本でパーマカルチャーの農場をつくらないかって誘われて奈良に視察に行ったの。そのタイミングで3.11が起きた。 

都会にある"人"という資源を使って、
パーマカルチャーを実践してみる

3.11の原発事故で、あらゆる問題は都会にあるってことに気づいたんだよね。福島の原発も結局、都会の問題でしょ。一部の田舎でパーマカルチャーを実践することは単なるユートピアにすぎない。多くの人が実践しないと社会は変わらないし、都会の問題からは逃げられない時代だから。農作業ができなくても、都会が中心にあるいまの時代にあったパーマカルチャーのかたちがあるはずだ、と思ったんだよ。

パーマカルチャーの考え方のひとつに「自分の身の回りにある資源を有効活用する」というものがあるんだけど、都会にある資源を使って実践してみようと。都会にある資源は、人だよね。一人ひとりの人間が知恵と知識と技術を持っている。その人たちをうまく巻き込んだら、絶対に面白いことができるって。

で、2011年11月に東京に移住して、「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」を立ち上げたんだ。

東京に戻ってきてからは、東大の大学院でグローバルリーダー育成プログラム修士課程をスタートし、本格的に脱原発活動をして、パーマカルチャーも実践しながら広めてきた。活動は順調に進んでいたんだけど、東京生活や大学の教育方針とあわなくて、途中鬱になったりもしたよ。辛かった。でも鬱からも晴れて、2014年には東京大学新領域学科サステナビリティ学を単位取得後に自主退学!僕、おめでとう!

で、いまは「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」の看板の下、いろんな平和活動をしているというわけ。ね、長かったでしょ?笑

最後に。海さんにとってメディアって何ですか?

うーん、メディアはリアリティーを作るものだと思う。結局、みんなの現実を作っているのはメディアだと思うんだよね。メディアや発信する人たちの目によって、ある程度情報操作されていることは大前提。ブログだってみんな見せたいものを見せているんだから。

僕の「共生革命家」という肩書だってある意味人にわかりやすく伝えるためのネタだよ。メディアに取り上げられた「自分」に合わせちゃうこともあるし。今回の写真の笑顔もね、最近は取材を受けることもあるんだけど、いろんな表情しても結局笑顔の写真が使われるから、もう自然に笑顔になっちゃうよね。いつもこんなに笑っているわけじゃないよ。ほら、事実は作られているでしょ?笑

やっぱり僕らはストーリーのなかに生きていて、そこに共感が生まれるわけで。メディアはそういうストーリーを作っているんだよ。だからこそ、メディアがいかに大事なことを伝えるか。メディアにうちらの未来はある意味かかっているよね。

自分がメディアとして実践者を増やし、
希望のストーリーを作っていきたい

その意味では、僕は自分がメディアとして、希望のストーリーを作っていきたいね。パーマカルチャーの考え方も、身近に実践する人がいたら信じられるだろうし。ワークショップとかを通じて体感するチャンスを作っていけば、小さな種かもしえないけど、いつかいっぱい花開くと思うから。

いまはチャンスがいっぱいだよね。解決するべき問題がたくさんある。パーマカルチャーの考え方のひとつに「問題こそ解決策」というのがある。だから問題があるとよっっしゃーーと思うわけ。ここのどこかに解決策が潜んでいるってことだから。

自分の身をすり減らさない感じで、みんなで仕事は楽しくやりたいじゃん。日々生活をデザインして、実践する。実践した瞬間に現実になるから。みんな頭でっかちになりすぎだけど、誰かに何かを与えたらギフトエコノミーの実践者だし、庭に廃材を使って苗を植えたらパーマカルチャーの実践者になる。僕がコスタリカのジャングルで体験したことを、小規模かもしれないけど都会でも体験できるんだよ。

僕はワークショップやツアーを通じて、そういう実践者を増やす。みんなの意識が変わって、実践者が増えていけば、社会が変わっていくでしょ。都会に希望の光を灯して、愛のあるムーブメントをつくっていく、それが共生革命家のやることだと思っている。

ソーヤー海
共生革命家。1983年、東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪育ち。9/11直後からカリフォルニア大学サンタクルーズ校で反戦運動に励み、有機農業や持続可能な生き方について勉強と実践に没頭する 。同大学で持続可能な社会をテーマとしたプログラムを運営しながら、大学の在り方を変える活動を学生と繰り広げる。2007年にコスタリカのジャングルに移住し、パーマカルチャーの実践を始める。その後、ニカラグアやキューバでパーマカルチャーの知識を深めて、米国のブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドで二年間研修生生活を送り、パーマカルチャーを軸とした暮らしを生きるようになる。3.11を機に、日本へ帰国して東京で平和活動をする事を決める。「共生」に関わる活動しながら、東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナビリティ学教育プログラムへ参加し(自主退学)、現在「東京アーバンパーマカルチャー」を主宰。活動の軸は、パーマカルチャー、非暴力(共感)コミュニケーション、禅(マインドフルネス)と若者中心の社会運動。日本各地でワークショップなどを通じて精力的に平和活動を拡げている。夢は全ての人と命が大事にされて活かされる社会を育てる事。

 

編集後記
勝手に自分で忙しくしている日々に追われ、人に優しくできなかったり、社会や将来についてゆっくり考えることができなかったり。そんな私たちに、都会の真ん中でとびきり笑顔の海さんは、「与え合おうよ、立ち止まろうよ」と真っ直ぐで温かいメッセージを届けてくれた。”きれいごと”を行動にして本気で伝えてくれる海さんは、やっぱり一つのメディアだと思う。楽しく巻き込まれていきたい(徳瑠里香)。

おわり。