【稀代の政治家 田中角栄(1)】
「土方は地球の彫刻家だ」の言葉を心に土建会社経営で成功、28歳で議員初当選

田中角栄元総理大臣(写真右)、娘の田中真紀子氏と〔PHOTO〕gettyimages

戦後の日本の政治家の中でも、田中角栄は、極めてユニークな存在である。

尋常高等小学校を卒業した後、徒手空拳で事業をはじめ、28歳で政界に進出した。39歳で岸内閣の郵政大臣に就任後は、閣僚、自民党幹部を歴任し、昭和47年、54歳で宰相にまで昇りつめた。まさしく庶民のチャンピオンと呼べる、快男児であった。

しかしながら金権政治に塗れ、公私ともに莫大な金を使ったことも事実である。
なぜ角栄はそれだけの金を集めることができ、また使うことができたのか―。

角栄の人生は大正7年5月4日、新潟県刈羽郡二田村に始まる。

祖父の捨吉は農業の傍ら宮大工の仕事をし、父の角次は牛馬商を営んでいた。
角一という兄がいたが、早世したため、姉二人、妹四人にはさまれた唯一の男児として、大切に育てられた。

角栄というと、小学校卒という学歴が取沙汰されるが、成績はよかったのだ。教師からも柏崎の中学への進学を勧められていたくらいだが、それをあきらめたのは、父親の事業の不振が理由だった。