【F1の帝王・フェラーリ(2)】人生を賭けた車造りで、経済危機やテロにうち沈むイタリア国民を元気づけた
エンツォ・フェラーリ 晩年は体力の衰えとともに、執務室にこもり切りになり、孤独な独裁者となっていったという。写真は1985年ごろのもの [写真]COURRAULT AGNES/GAMMA/アフロ

50歳を迎えるまで、エンツォ・フェラーリの日常はほとんど毎日同じだった。
朝、スクーデリア・フェラーリの2階にある住居で目覚めると、息子が学校に行くのを見送り、床屋に行って髭を剃る。

午前中はオフィスで顧客の相手をしたり、記者会見を行う。
昼食の後はマラネロの工場に顔を出して、作業の進行を管理した。
服装も地味だった。

「白いシャツと色をおさえたネクタイ、グレーか茶色のビジネススーツにサスペンダー、ジャケットの襟にはカヴァリーノ・ランパンテの小さなピンをさしていた」(『エンツォ・フェラーリ F1の帝王と呼ばれた男。』ブロック・イェイツ)

それは彼の造る華麗で大胆なスポーツカーとは驚くほどの対照をなしていた。
自動車業界のライバルたちがシャネルやディオールの最新ファッションに身を包んでいても、真似ようとはしなかった。
自分のファッションよりも車のデザインに想像力がかきたてられたのだろう。

エンツォの自己表現の塊ともいえる、鮮烈で美しいフェラーリのボディは欧米の富裕層を魅了した。ロード・スポーツカーの生産は順調に伸び、F1の優勝で知名度は高まり、事業は飛躍的に拡大されていった。