週刊現代
年輪を重ねた者だけが持つ歴史の皮膚感覚と、強い危機感
〜ジイジとバアバの国会前デモ

魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第132回
〔PHOTO〕gettyimages

3年前の官邸包囲デモとのちがい

地下鉄の国会議事堂前駅の改札を抜け、地上に出たら茱萸坂(ぐみざか)の歩道がごった返していた。

歩道のあちこちに設置されたスピーカーから佐高信さんの声が大きく響く。

「私たちがこれまで外国に行くとき手にしたのは平和のパスポート。それが戦争のパスポートに変わろうとしている。それでいいのか!」

6月14日の日曜午後2時、安保法制反対の国会包囲デモ(主催者発表で2万5000人参加)の始まりである。忘れもしない。3年前の夏、私の連載はこの場所のルポから始まった。

当時は反原発の官邸前デモが最高潮に達していた。歩道からあふれた人が車道を埋め尽くした。「危険だから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。夕闇の“解放区”に蠢く、数え切れぬほどの若い男女の姿が瞼に焼きついている。

あのころはまだ希望があった。もっと伸びやかな空気があった。自分たちの力で社会を変えられるという実感もあった。軽快なサンバのリズムが心地よく響き、警備の警官まで「サイカドウ(再稼働)ハンタイ」と口ずさんでいた。

ところが今は同じ場所に立っても重苦しさしか感じない。参加者の大半が私と同じ60代前後だからだろうか。私たちには3年前の若者たちのようにデモを祝祭に変え、爆発的に広げる力がない。企画力もない。

だいたい、国会議員が議事堂にいない日曜に、しかも新聞休刊日の前日に国会包囲デモを計画すること自体、少しピントがずれていやしないだろうか。