テレビ界のカリスマ、TOKYO MX後藤亘会長に聞く【後編】
「感性は勉強では養えない。良い意味で遊ぶことが大事です」

成功のカギは「個性」だった

TOKYO MX(以下MX)の後藤亘会長(82)は、笑顔を絶やさない穏やかな人物だ。だが、経営者としては辣腕である。

まず、現在は名誉相談役であるTOKYO FMを、社長としてNo.1FM局にした。TOKYO FMは民間FM局の草分けだが、80年代後半には後発局が台頭し、苦戦。巻き返したのは後藤氏である。

MXについても同じ。経営の先行きに暗雲が漂っていたが、後藤氏が社長に就任すると、危機から完全に脱した。

両局が成功した秘訣はいったい何だったのか? 

「まず、個性でしょうね。たとえば、TOKYO FMでは94年、『見えるラジオ』を始めました。儲からないのは最初から分かっていましたが、狙い通りに話題になって、アメリカの放送事業協会の会長まで『面白い』と言ってくれました」

2014年に役割を終えて終了した「見えるラジオ」は、FM電波の空きを使い、文字でニュースを流すシステム。専用の受信機があれば、TOKYO FMを聞きながら、ニュースや音楽情報などを同時に見ることが出来た。

後藤氏は「儲からない」と言ったが、「見えるラジオ」の技術は最終的には収益にも結びついた。90年代前半までの車のカーナビは、GPSの誤差が大きくて不便だっが、「見えるラジオ」のデータ放送が活用され、誤差の解消が図られた。技術がラジオ以外で生かされたのだ。

後藤亘会長

TOKYO FMの聴取率を上げたのもまた個性だった。

「私が社長に就任した89年当時、後発のJ-WAVEやFm yokohamaに押されていました。だから、それまでとは方針を変えて、流す音楽はJポップ中心にした。トークも増やした。それまでのFMは、どの局も洋楽中心だったので、差別化を図ったのです。カラオケがブームになっていたので、Jポップが受けるという確信もありました。時代に合わせた編成は放送局の命題。『もう洋楽中心の時代ではない』と判断したのです」

その結果、聴取率は一気に伸びた。後藤氏の読み通りだった。ところが、現場からは不満の声が上がったという。

「長く洋楽を中心に番組を制作してきた現場は嫌がったんですよ。『洋楽のほうが格好いい』って(笑)。そこで私が『じゃあ、昔の編成に戻してみよう』と言い、再び洋楽中心にしたところ、途端に聴取率が下がってしまった。これで現場もJポップ中心を納得してくれました」

後藤氏の指揮の下、TOKYO FMの聴取率は全ラジオ局でTBSに次ぐ2位になったほど。80年代まで鉄壁の強さを誇ったニッポン放送にさえ勝った。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら