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【クルマ界歴史の証人】ホンダの新車開発秘話 
シビックの開発責任者 伊藤博之 PART2

シビック投入直前。それまでのホンダ四輪車を並べて撮影。右最前列が伊藤博之氏

シビックの開発責任者 伊藤博之 PART1はこちら

日本の自動車業界およびモータースポーツの勃興期に活躍され、多大な功績を収めた先輩方に語っていただく本企画。

「Mr.シビック」と呼ばれた伊藤博之氏の2回目は初代シビック開発の悪戦苦闘とその後のブーム、そして初代アコードの開発秘話をお届けする。

今回の証人伊藤博之とは?

「Mr.シビック」こと伊藤博之氏。親しみを込めて「イトヤン」とも呼ばれている

1944年、大阪市生まれ。大阪市立大学工学部機械工学科卒業後、1966年に本田技研工業入社。3カ月ほどの研修後に配属されたのは本田技術研究所基礎研究ブロック。2輪ではすでに確固たる地位を得ていたホンダではあったが4輪では、まだスポーツトラック、T360(日本初のDOHCエンジン搭載車)やS500、S600、そしてS800などの数モデルを世に送り出しているに過ぎない後発メーカー。

入社時に担当したN360を皮切りに音や振動の軽減を担当。当時の本田宗一郎社長の下、新車開発に携わる。

そしてシビックに関しては初代SB1から始まり、3代目からはLPLとしてシビック3ドア、4ドアを担当。この3代目モデルでホンダ初の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞、さらに3ドアハッチバック車は1984年度グッドデザイン大賞まで受賞。伊藤氏が直接手掛けたのは6代目シビックまでではあるが、その功績は大きく、文字どおり「Mr.シビック」と呼ばれるほどの存在。

さらに「イトヤン」とも呼ばれたことでもわかるが、多くの人たちに慕われている。