【帝国ホテルの創設者 大倉喜八郎】1万円あれば家が買えた時代に、600万円の美術品を寄付して公開した
世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」大倉喜八郎(その三)
大倉集古館 喜八郎と息子・喜七郎が蒐集した、約2500件の美術・工芸品と1000部の漢籍(中国古典籍)を所蔵、2014年4月より約4年間の予定で休館

ホテルオークラ東京本館のすぐ前に大倉集古館がある。
屋根の反り上がった、龍宮城を思わせるこの建物は、日本で最も古い私立美術館である。
大倉喜八郎が蒐集した日本・東洋の古美術と息子の喜七郎の日本近代絵画コレクションを中心に2500件もの美術・工芸品が所蔵され、普賢菩薩騎象像をはじめ国宝が3件もある。残念ながら現在は改修工事のため、休館中だ。

この美術館は大正7(1918)年5月1日に開館した。前年8月に、喜八郎は「財団法人大倉集古館」を設立。本宅の敷地4825坪を提供して陳列館を建て、自分が所蔵する美術品の全てを寄付した。

美術品の評価額はおよそ600万円。1万円あれば、家が買えた時代の話である。
喜八郎が美術品の蒐集を始めたのは、趣味のためばかりでなく、古美術の散逸を防ぎ、文化財を守りたいという使命感によっていた。
廃仏毀釈で貴重な仏像彫刻が破壊されていくのを嘆いて熱心に買い集め、明治32(1899)年の義和団の乱のときには、ロシアの商人が安く買いたたいた中国の美術品を船一艘分買い取っている。
しかも美術品を私蔵せずに、大勢の人に楽しんでもらおうと、美術館を作って公開したのだから、殊勝な心がけである。

貧しい庶民を軽蔑し、贅沢な生活をひけらかす喜八郎とは思えない。
ここには彼の宗教心がかかわっている。彼の述書『致富の鍵』に次のような言葉がある。
「・・・・・・私は忙しい身体でも、暇があったときは、たとえわずかの時間でも美術館に入って仏を見るが、一種私の精神に崇高の感が湧くのである。そしてこれによって連日連夜の激務に服して俗化した精神を復活せしむるのである」

喜八郎の事業の大躍進は、日清・日露戦争までであった。
この後、三井、住友といった財閥は時代の変化に沿って事業の近代化を進め、組織を整え民間事業へと経営体を移していった。
一方喜八郎は銀行も持たず、自己資本に依存し、株式公開によって社会から広く資金を集めようとしなかった。

次第に国内での地位は低下していった。
事業の場を中国に拡大し、鉱業、製材、紡績、食品、農業と次々に投資したが、利益を得るどころか、莫大な損失を出してしまった。

82歳から二人の子供を作った衰え知らずの精力

ところが、大正3(1914)年に起きた第一次世界大戦による好景気で息を吹き返し、喜八郎の贅沢生活は続く。

大正4年12月、「社会に対する多年の勲功」により、喜八郎は男爵の地位を授けられた。平民から華族になったのである。
授爵記念の祝賀会は帝国劇場を借り切って、大々的に行われた。

大正13年10月には、米寿の祝いと結婚50周年の祝宴が催された。
20日から3日間。場所は関東大震災の被害からようやく新装再開された帝国劇場で、1日千人以上の名士が出席した。